ピカソ【Pablo Ruiz y Picasso】
パブロ・ピカソ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/10 05:40 UTC 版)
パブロ・ルイス・ピカソ[注 1][注 2](Pablo Ruiz Picasso, 1881年10月25日 - 1973年4月8日)は、スペイン・マラガ生まれの、フランスで制作活動をおこなった画家である。
注釈
- ^ ピカソのフルネームには、さまざまな聖人や親族が含まれる。1881年10月28日に発行された出生証明書によると、彼はパブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ファン・ネポムセノ・シプリアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・ピカソ(Pablo Diego José Francisco de Paula Juan Nepomuceno Cipriano de la Santísima Trinidad Ruiz Picasso)として生まれた[3] 。彼の洗礼の記録によると、パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ファン・ネポムセノ・クリスピン・シプリアーノ(他の資料ではクリスピニアノ)・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・マリア・デ・ロス・レメディオス・アラルコン・イ・エレーラ・ルイス・ピカソ(Pablo Diego José Francisco de Paula Juan Nepomuceno Crispín Cipriano (other sources: Crispiniano) de la Santísima Trinidad María de los Remedios Alarcón y Herrera Ruiz Picasso)[3][4] 名付け親が弁護士で、家族の友人であったJuan Nepomuceno Blasco y Barrosoであったことから、Juan Nepomucenoと名付けられた[3]。彼は誕生日に行われる10月25日月曜日のサンクリスピンデーにちなんで、Crispín Ciprianoと名付けられた 。Nepomucenoの妻であり、ピカソの名付け親であるMaría de los Remedios Alarcón y Herreraも、ピカソの洗礼名の中で尊重されている [3]。
- ^ イギリス: [ˈpæbloʊ pɪˈkæsoʊ]、アメリカ: [ˈpɑːbloʊ pɪˈkɑːsoʊ, -ˈkæs-]、スペイン語: [ˈpaβlo piˈkaso]
- ^ カサヘマスはピカソらとともにパリに出て、ジュルネーヌという女性に思いを寄せたが失恋した。心配したピカソに連れられて一度スペインに戻るが、その後ひとりでパリに行き、カフェで談笑するジュルネーヌに銃弾を浴びせたのち、自分の右こめかみを撃って自殺した。ジュルネーヌは命を取り留め、長命している。
- ^ 内戦時にピカソは50代後半であった。兵卒は30歳前後でも老兵と言われる。彼が従軍を望んだとしても、兵卒としては勿論、たとえ尉官クラスの将校待遇にしてもらえたとしても、そもそも実戦に従軍すること自体が体力的にまず不可能であった点は充分な留意が必要である。
出典
- ^ Pierre Daix, Georges Boudaille, Joan Rosselet, Picasso, 1900-1906: catalogue raisonné de l'oeuvre peint, Editions Ides et Calendes, 1988
- ^ a b アート・ビギナーズ・コレクション もっと知りたい ピカソ 生涯と作品」松田健児 p67 東京美術 2006年2月1日初版第1刷発行
- ^ a b c d Cabanne, Pierre (1977) (英語). Pablo Picasso: His Life and Times. Morrow. p. 15. ISBN 978-0-688-03232-6
- ^ Lyttle, Richard B. (1989) (英語). Pablo Picasso: The Man and the Image. Atheneum. p. 2. ISBN 978-0-689-31393-6
- ^ 「ピカソ」 p.16 岡村多佳夫著。
- ^ “【寄稿】ピカソ作「韓国での虐殺」は6・25戦争の虚偽宣伝物だ(朝鮮日報日本語版)”. Yahoo!ニュース. 2021年6月6日閲覧。 “ スペインに生まれフランスで活動してきたピカソは、1944年にフランス共産党へ入党し、その翌年のインタビューで「私は共産主義者であって、私の絵は共産主義の絵だ」と表明した。”
- ^ “Most prolific painter”. ギネスブック. 2023年1月7日閲覧。
- ^ “ピカソのフルネームとギネスの認定について知りたい。”. 国立国会図書館. 2023年1月7日閲覧。
- ^ Kimmelman, Michael (1996年4月28日). “Picasso's Family Album” (英語). The New York Times. ISSN 0362-4331 2022年12月14日閲覧。
- ^ a b c ピカソ展カタログ編集委員会「PABLO PICASSO EXHIBITION-JAPAN 1964」毎日新聞社 1964年
- ^ a b 「アート・ビギナーズ・コレクション もっと知りたい ピカソ 生涯と作品」松田健児 p5 東京美術 2006年2月1日初版第1刷発行
- ^ 日本郵趣教会浜松支部
- ^ 布施英利『パリの美術館で美を学ぶ ルーブルから南仏まで』光文社、2015年、242頁。ISBN 978-4-334-03837-3。
- ^ ピカソとバレエ・リュス参照
- ^ Voorhies, James. Pablo Picasso (1881–1973), Heilbrunn Timeline of Art History, The Metropolitan Museum of Art, New York, 2000
- ^ Wattenmaker, Richard J.; Distel, Anne, et al.,1993, p. 194
- ^ Richardson John. A Life Of Picasso. The Prodigy, 1881–1906, Dionysos p. 475. New York: Alfred A. Knopf, 1991. ISBN 978-0-307-26666-8
- ^ a b 「アート・ビギナーズ・コレクション もっと知りたい ピカソ 生涯と作品」松田健児 p48 東京美術 2006年2月1日初版第1刷発行
- ^ 回想記『ピカソとの日々』(フランソワーズ・ジロー/カールトン・レイク共著、野中邦子訳、白水社、2019年)がある。
- ^ 「ピカソ」p.62。角川文庫
- ^ 「アート・ビギナーズ・コレクション もっと知りたい ピカソ 生涯と作品」松田健児 p61 東京美術 2006年2月1日初版第1刷発行
- ^ When did Picasso die 2023年7月5日閲覧
- ^ 「アート・ビギナーズ・コレクション もっと知りたい ピカソ 生涯と作品」松田健児 p66-67 東京美術 2006年2月1日初版第1刷発行
- ^ 「アート・ビギナーズ・コレクション もっと知りたい ピカソ 生涯と作品」松田健児 p66 東京美術 2006年2月1日初版第1刷発行
- ^ a b 「美術品オークション、過去の高値上位10作品」.AFPBB 2015年5月12日 2018年9月8日閲覧。
- ^ ピカソの絵画が100億円超で落札、美術品の最高記録更新.ロイター 2010年5月5日
- ^ 盗難に遭ったピカソらの名作7点、容疑者の母親が「焼却」.AFPBB 2013年7月17日
- ^ “パブロ・ピカソが描いた絵画 “花かごを持つ少女” が約125億円で落札される”. HYPEBEAST (2018年5月10日). 2019年5月17日閲覧。
- ^ Cole, Ina (2020年12月18日). “Nowgoal”. Art Times. 2023年8月閲覧。
- ^ Lewis, Richard (2014年3月9日). “The Dove: Picasso and Matisse”. Lewis Art Cafe. 2020年12月18日閲覧。
- ^ https://www.afpbb.com/articles/-/3091079 『「ティファニー」パロマによるメンズジュエリー発表』AFPBB 2016年06月20日 2017年7月11日閲覧
パブロ・ピカソ
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「サビニの女たちの略奪」の記事における「パブロ・ピカソ」の解説
パブロ・ピカソはこの主題を再構築した作品をいくつか1962年から1963年に描いている。そのうちの1つはボストン美術館にある。それらはジャック=ルイ・ダヴィッドの作品を下敷きにしている。物語の最初と最後を合成したもので、ロームルスとタティウスが裸体のヘルシリア(ロームルスの妻)とその子を無視して踏みにじっている様を描いている。
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