第二次ブーム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/23 08:11 UTC 版)
当初の中間小説は風俗小説の同義語とも見られていたが、井上靖や松本清張の活躍とともに、時代小説や推理小説も呑み込んだものとなっていく。1958年多岐川恭が初めて推理小説で直木賞を受賞し、1961年『別冊小説新潮』の水上勉らの作品を掲載した「現代推理小説代表作集」という特集号が大いに売れ行きがよく、社会派推理小説が多く掲載されるようになる。 1960年『小説中央公論』、1963年『小説現代』、1967年『問題小説』、1968年『小説宝石』『小説セブン』『小説エース』『サンデー毎日読物専科』などが創刊され、従来の純文学作家として出発したのではない、最初から中間小説の書き手となった作家、小説現代新人賞でデビューした五木寛之や、井上ひさし、三好徹、有吉佐和子、司馬遼太郎、佐藤愛子などが人気を集め、第二次中間小説ブームと言われるようになった。また週刊誌ブームによって競争の激化した『週刊新潮』他も、中間小説発表の舞台となった。中間小説誌は創刊と淘汰が続く中で、『オール讀物』『小説新潮』『小説現代』が御三家と呼ばれた。その後、大衆文学、中間小説という言葉に変わってエンターテイメントという言葉が使われるようになり、1970年代にはエンターテイメント性を強く打ち出した『野性時代』が創刊された。
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