1994年 - 1998年 第二次ブーム
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1994年8月のジュリアナ東京閉店に伴いマハラジャ等に客が戻り、第二次ユーロブームを迎えた。この時代も基本的には一次と同じで、パラパラは基本的にディスコの女性客集客道具だった。一時はエイベックス主催の東京ドームイベントがパラパラ愛好者で満員になるほど盛り上がりを見せ、地下鉄の六本木駅構内で女の子同士でパラパラを教えあう光景が普通に見られる程となった。しかし、下記のような変化が現われはじめていた。 エイベックスによる新曲統一パラビデオ『パラパラ教典』シリーズの出現などにより、パラパラの習得のためにビデオ動画によって自宅で覚える方法が一般化し、振り付けも複雑化した。 ディスコ雑誌「Heaven's Door」が発行され、各店の常連の写真や新曲の振り付け紹介が掲載された。 しかし、欧米では1990年以降現代テクノが開花し、クラブの時代に入っていた。日本でも1994年頃から現代テクノやハウス、関西ではレゲエを掛けるクラブが隆盛するようになった。代わりに、コスプレ系のパーティーでパラパラが流行する現象があった。また、横浜大黒埠頭で違法競走型暴走族の人達によるパラパライベントが行われるようになった。 1997年末から1999年初頭にかけて、ユーロビートを流していた従来からのディスコが数多く閉店し。ブームに一区切りが付いた。
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