1994年 - 2014年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 03:50 UTC 版)
「南沙諸島」の記事における「1994年 - 2014年」の解説
1994年にフィリピンが実効支配していたミスチーフ礁(中国名:美済礁)を中華人民共和国が占拠して建造物を構築したことを、1995年2月にフィリピン政府が公表する。 2004年9月にフィリピンと中華人民共和国が海底資源の共同探査で2国間合意が成立する。 2005年3月には、フィリピンと中華人民共和国の2か国に続きベトナムも加わり、海底資源の共同探査が行われている。 2007年11月、中国人民解放軍が西沙諸島の海域で軍事演習を行ったことや同月中旬に中華人民共和国が中沙諸島だけでなく南沙、西沙の両諸島を含む領域に海南省に属する行政区画である「三沙市」を設置した(中国国務院が三沙市の成立を正式発表したのは2012年7月)ことをきっかけに、12月にベトナムのハノイにある中国大使館前で抗議デモを行われた。 2008年1月に中華民国(台湾)が、実効支配している太平島に軍用空港を建設して完成させる。滑走路は全長1,150メートル、幅30メートル。その後に中華民国総統が視察に訪れたことに対してフィリピン政府が抗議をする。 2010年3月にアメリカからスタインバーグ国務副長官とベイダー国家安保会議アジア上級部長が中華人民共和国を訪れた際に、中華人民共和国政府は、南シナ海を『自国の主権および領土保全と関連した「核心的利害」地域と見なしている』との立場を公式に通知したことが報じられる。 2011年2月末から5回以上にわたり、中華人民共和国の探査船がフィリピンが主張する領海内において探査活動を繰り返し、5月には無断でブイや杭などを設置したことから、フィリピンのアキノ大統領はこれを領海侵犯とし、6月に国連に提訴する。 2012年7月11日、中華人民共和国国土資源部国家海洋局所管の海監総隊の孫書賢副総隊長が、南沙諸島の領有権問題に関して、ベトナムやフィリピンと「一戦を辞さない」と発言した。 2012年12月9日、フィリピンのアルベルト・デルロサリオ(英語版)外務大臣 (フィリピン)(英語版)は『フィナンシャル・タイムズ』のインタビューに対して、「フィリピンはこの地域でバランスを保つ要素を探しており、日本は重要なバランサーになり得る。フィリピンは、これ(日本の再軍備)を歓迎する」と述べ、南シナ海で中国と領有権をめぐり対立しているフィリピンが、中国を牽制するため、日本の再軍備を歓迎すると表明し、インドネシアの外務大臣 (インドネシア)(インドネシア語版)も同様の態度を示した。『フィナンシャル・タイムズ』アジア版のデビッド・ピリング編集長は、かつて日本に侵略された歴史を持つアジアの多くの国が日本の再軍備を歓迎していることは意外だとして、「当時、暴行や虐殺が普遍的だった日本による侵略の歴史はフィリピン人の記憶の中に鮮明に残っているはずだが、アルベルト・デルロサリオ外務大臣はそれについて大したことではないと表明している。かつて大日本帝国に蹂躙された国の多くは、韓国のようには日本に恨みを抱いていない」と述べている。 2013年5月、中華民国総統であった李登輝は「(中国は)周辺国への内政や領土干渉を繰り返すことによって、自分たちの力を誇示しているのである。こうした中国の動きを説明するのに、私は「成金」という言葉をよく使う。経済力を背景に、ベトナムから西沙諸島を奪い、南沙諸島でフィリピンが領有していた地域に手を出し、そして日本領土である尖閣諸島の領海、領空侵犯を繰り返す中国は、札束の力で威張り散らす浅ましい「成金」の姿そのものである」と中国を批判している。
※この「1994年 - 2014年」の解説は、「南沙諸島」の解説の一部です。
「1994年 - 2014年」を含む「南沙諸島」の記事については、「南沙諸島」の概要を参照ください。
- 1994年 - 2014年のページへのリンク