アメリカ合衆国国務副長官

アメリカ合衆国国務副長官(あめりかがっしゅうこくこくむふくちょうかん、United States Deputy Secretary of State)は、アメリカ合衆国において、国務省の長たる国務長官を補佐する最高位の役職である。国務長官が辞任もしくは死去により不在となった場合には、大統領および上院によって後任が任命を受けるまでの間、国務長官の職務を代行する。
歴史
国務副長官の役職は、1972年7月13日に可決した外交授権法 (Pub.L. 92–352; 86 Stat. 490) により創設された。それまでは、国務省第2位の地位は国務次官であったが、外交授権法制定により国務副長官へと置き換えられた。
2009年からは、「米国の優先事項を効果的かつ安全に実施するために必要な資源を確保できるようにする」との目的で国務副長官(管理・資源担当)が運用され[1]、国務副長官が2人体制となった。この結果、戦略的な計画立案・予算作成の一貫性と効率性が高まり、説明責任が強化された[2]。
歴代国務副長官
脚注
注釈
出典
- ^ “ヒラリー・ローダム・クリントン国務長官の外交政策に関する外交問題評議会での講演”. アメリカ合衆国国務省 (2009年7月15日). 2011年1月9日閲覧。
- ^ “文民の力を通じたリーダーシップ――2010年外交・開発政策見直し報告書(QDDR)――概要”. アメリカ合衆国国務省 (2010年12月15日). 2011年6月9日閲覧。
- ^ “Deputy Secretaries of State”. United States Department of State. 2011年7月29日閲覧。
外部リンク
- Deputy Secretary of State - アメリカ合衆国国務省
国務副長官(2005-2006年)
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「ロバート・ゼーリック」の記事における「国務副長官(2005-2006年)」の解説
2005年1月7日、ゼーリックはジョージ・W・ブッシュ大統領から、国務省の実務を担当する国務副長官に指名され、2005年2月22日に就任した。当初は、国務次官をつとめていたジョン・ボルトンがその地位に就くはずだったが、国務長官に就任したコンドリーザ・ライスとソリが合わないことからゼーリックの名が浮上する。しかし、2005年5月25日、ニューヨーク・タイムズ紙は、ゼーリックが自らの劣勢に疑問を持っており、すぐにでも辞職する可能性があることを報じた。ゼーリックは、最低1年間国務副長官として役目を果たすことに同意したが、民間部門に戻るというゼーリックの願望は広く知られていた。ゼーリックの国務副長官就任は日本にとっては、前任のリチャード・アーミテージが築いた日米蜜月時代とは打って変わり、日米の間に隙間風を吹き込む。アーミテージ時代に設立された、次官級の「日米戦略対話」はゼーリックの在任時代、ただの一度も開かれておらず、他方、中国に対してはブッシュ政権1期目に掲げていた「戦略的競争相手」から打って変わり、「責任あるステーク・ホルダー(利害共有者)」という位置づけをしている。台湾に対する対応は日本以上に顕著なもので、陳水扁総統が国交を持つ中南米訪問の際には、給油のみを認め、米国国内での政治活動は一切認めなかったほどである。ちなみに一期目においては、陳総統はブッシュ大統領の地元であるテキサス州滞在を許されている。日米間で行われなかった戦略対話は米中間においては何度も行われている。そのため、ゼーリックの国務副長官就任が取り沙汰された際、日本の外交当局者や山本一太参議院議員などは彼に対する警戒感を示していた。
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