1994年-1995年のストライキ
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「プロ野球ストライキ」の記事における「1994年-1995年のストライキ」の解説
詳細は「1994年から1995年のMLBストライキ」を参照 この年のストライキは越年し、MLB史上最長となった。経営者側が、チームの総年俸に上限を定めるサラリーキャップ制度を導入しようとしたものの、選手会側がこれに反発し、1994年シーズン途中の8月12日からストライキを行った。ストライキは232日間にも及び、残りの公式戦やポストシーズンが中止されたため、二度の世界大戦の際でも中止にならなかったワールドシリーズも中止になった。 早期解決を促すべく、翌1995年2月に、アメリカ合衆国大統領ビル・クリントンが2度目の調停に入るが、調停は失敗に終わった。ストライキは4月2日をもって解除されたが、この年のシーズン開幕は4月25日と、当初の4月2日から約1ヶ月遅れることとなった。合計938試合が中止となった。なお開催が中止されたワールドシリーズに代わり、アメリカ合衆国の一部では日本シリーズが中継された。 経営者側は、サラリーキャップ制度の導入を断念した。1997年3月14日に、収益分配制度や年俸の抑制を目的とした、選手会と経営者の間で新たな労働協約が締結され、サラリーキャップ制度の代替案として、年俸総額が一定の額を超えたチームに、いわゆる贅沢税を課す課徴金制度が導入された。このストライキでは大規模なファン離れが生じ、1997年のインターリーグ導入の契機にもなった。
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