1994年-1996年:マイ・ライフ
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「メアリー・J. ブライジ」の記事における「1994年-1996年:マイ・ライフ」の解説
1994年11月には2作目のスタジオ・アルバム『マイ・ライフ』(My Life) をリリース。アレサ・フランクリンと比較されるほどの存在感を放ち、このアルバムもプラチナとなり全米チャート7位、R&Bチャート1位を記録した。『マイ・ライフ』も前作同様プロデュースにショーン・パフィ・コムズが関わり、他のプロデューサーはチャッキー・トンプソン(英語版)、ハーブ・ミドルトン(英語版)などが新たに加わった。 シングルヒットは、カーティス・メイフィールドの1979年のアルバム『ハートビート』(Heartbeat) 収録曲「ユーアー・ソー・グッド・トゥ・ミー」(You're So Good To Me)をサンプリングした1stシングル「ビー・ハッピー」(Be Happy) がR&Bチャートで6位となった。 その後のシングルは、メリー・ジェーン・ガールズが1983年に出した「オール・ナイト・ロング」(All Night Long)のベースラインやフレーズを引用した「メアリー・ジェーン (オールナイト・ロング)」(Mary Jane)や、ローズ・ロイス(英語版)のカバー曲の「アイム・ゴーイン・ダウン」(I'm Going Down)の他、バリー・ホワイトの1977年のファンク・ヒット曲「エクスタシー」(It's Ecstasy When You Lay Down Next to Me)をサンプリングした「ユー・ブリング・ミー・ジョイ」(You Bring Me Joy)をリリースした。また、シングルにはなっていないが、バラード曲の「ユー・ガッタ・ビリーヴ」(You Gotta Believe)でも、メアリーは高い歌唱力を実証することになった。 この2ndアルバム『マイ・ライフ』は70年代のR&Bクラシックを意識して作られ、メアリー自身が13曲書いており、真実の愛や心の安らぎを求め探して本当の自分を見つけようとするホーム・ガールの繊細な揺れる心をテーマにしたものとなっている。「クイーン・オブ・ヒップホップ・ソウル」と冠されながらも、「私は普通の、歌が好きなホーム・ガール」と言うメアリー自身の女性の感情が歌われている。 のちにメアリーはこのアルバムについて、「misery(みじめ)でpain(苦悩)…あれは地獄のような苦しみのアルバムよ」と2003年に振り返っている。その背景には、プロデューサーのパフィとの確執、当時の恋人 K-Ciヘイリーとの揉め事やドラッグ依存、鬱症状などがあり、「人生の最悪期だった」とメアリーはインタビューに答えているものの、皮肉にもそうした苦しい悲痛な叫びや生の感情や魂が歌に託されている2nd『マイ・ライフ』は、メアリーのアルバムの中でも特に最高傑作に挙げる評価が多く、まぎれもないR&Bの名盤となっている。 『マイ・ライフ』の発表後は、客演参加でメソッド・マンの「アイル・ビー・ゼア・フォー・ユー/ユーアー・オール・アイ・ニード・トゥ・ゲット・バイ」(I'll Be There for You/You're All I Need to Get By) や、ジェイ・Zの「キャント・ノック・ザ・ハッスル」(Can't Knock the Hustle) などでラッパーたちとの共演で存在感を発揮し、 メソッド・マンとの客演では第38回グラミー賞(1996年2月開催)の「最優秀ラップ・パフォーマンス賞デュオ/グループ部門」(Grammy Award for Best Rap Performance by a Duo or Group)を受賞した。
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