第二次プーチン政権
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プーチンは他候補に大差をつけて勝利し、再び大統領の座に就いた。だが、国内では政治体制に対する反感がくすぶり、プーチンの人気に陰りが見えていた。「プーチンなきロシア」を叫ぶ抗議運動も頻繁におき始めていた。しかし、プーチンは自身に対する反対デモなどには重罰を科す姿勢で臨んでいる(ボナパルティズム)。地方選挙などでは統一ロシアは苦戦が続き、2011年の下院選で実は第一党となっていたのはロシア連邦共産党であり、現体制は大規模な不正の上に成り立っているとのシンクタンクの調査報告もあった。 だが、政権側も賛否両論渦巻く中、国営メディアの再編(報道機関から事実上の宣伝機関化)、不祥事続きで評判が下落している「統一ロシア」に代わる支持母体「全ロシア人民戦線」の旗揚げなど、プーチン大統領の権力を強化する施策を矢継早に行い、また、反体制活動家を厳しく取り締まり続けた。 そして、プーチンは2014年3月に新たな策を打ち出した。ウクライナの政変に伴いクリミア自治共和国に軍事介入し、同国を支配下に治めたのだ。この強硬姿勢によって、長期政権に飽きて低下気味だったロシア国内におけるプーチン大統領の支持率は上昇した。しかし、一連の騒動により、プーチン政権に対する国内の支持上昇とは裏腹に、欧米諸国との関係がかつてないほどに悪化し、結果として欧米諸国による経済的制裁や、クリミア併合に伴う莫大なコスト負担などでロシアの不安要因となり、短期的にはいい効果を上げても、長い目で見れば逆にロシアの現体制の安泰には繋がらないという見方も出ている。 一方、プーチン政権は国内の野党勢力の懐柔を進めており、例えば、2014年11月には、ウクライナ内戦により誕生した「国家」であるノヴォロシア人民共和国連邦(国際的な承認はない)を支持する大規模な合同集会を、ロシア国会に議席を有する全ての政党の関係者を集めて行った。 ロシアは、ソビエト連邦の崩壊という大事件ののち、脆弱で腐敗した民主主義時代を経て、新たな大国へと変貌を遂げた。2014年11月には、ドイツのベルリンで行われた「ベルリンの壁崩壊25周年記念式典」において、ソ連最後の最高指導者であったミハイル・ゴルバチョフが「世界は新冷戦の瀬戸際にある。既に新冷戦が始まっているという見方さえ出ている」と、悪化する欧米とロシアの関係に危機感をあらわにした。ウクライナとの紛争以降、ロシアからの資本逃避が一気に進み、また、経済制裁の影響も受けて国内経済は厳しい状況になっているが、現政権は欧米との対抗心や愛国心を鼓舞し、貧困を乗り切ろうとしている。そのため、今でも欧米諸国との間で水面下で争いが続いている。
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