プーチン政権とは? わかりやすく解説

タンデム体制

(プーチン政権 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/21 15:34 UTC 版)

タンデム体制(タンデムたいせい、ロシア語: Правящий тандем)又はタンデモクラシーTandemocracyТандемократия タンデモクラーチヤ、タンデムデモクラシーかばん語)は、2008年ロシア連邦大統領選挙後のメドヴェージェフ大統領プーチン首相による二頭体制 (ru:Дуумвиратの俗称。

概要

2008年ロシア連邦大統領選挙

プーチン首相(左)とメドヴェージェフ大統領(2008年5月12日撮影)

2000年5月から2008年5月までの2期8年に渡ってプーチンは大統領を務めていたが、ロシア連邦憲法では大統領の連続3選が禁止されているため、プーチンが大統領職を2期で退任するのか、他の旧ソビエト連邦CISの各国指導者に見られるように憲法改正を行い、大統領任期延長を図るのかが注目された。与党の統一ロシアシロヴィキに影響力を持つプーチンは、2007年ロシア下院選挙で統一ロシアの比例名簿1位に登載されて当選し、2008年4月に統一ロシア党首に就任した。プーチンはこうした政官界への影響力を背景に後継大統領候補にメドヴェージェフ第一副首相をつけて大統領選挙で当選させ、自身を首相に指名させた。

2008年5月8日にメドヴェージェフ大統領・プーチン首相体制が始まった。プーチンは8年間の大統領経験と統一ロシアやシロヴィキの影響力を背景に、本来大統領として大きな権限を持つはずのメドヴェージェフ以上の政治的影響力を維持した。また、プーチンは政府幹部会 (ru:Президиум Правительстваを8年ぶりに設置し、首相として政府幹部会議長に就任した。政府幹部会は週1回行われ副首相や大統領が人事権をもつ外相や国防相も参加する一方で、大統領が主宰していた週1回の閣議が大幅に減ったため、政府幹部会は事実上の政府最高意思決定機関と目された。メドヴェージェフはユーラシア関税同盟拡大問題(ユーラシア連合構想)・モスクワ市長人事(ユーリ・ルシコフ解任)などでプーチンと方針対立が報じられることもあったが、プーチンと決定的に対立することは無かった。

2012年ロシア連邦大統領選挙

2012年5月7日までがメドヴェージェフの大統領任期であり、2012年ロシア連邦大統領選挙にはプーチンも出馬できることから、プーチンと比較的リベラル派とされるメドヴェージェフとの間の対立がしばしば報じられるようになり、同選挙をめぐり両者の関係に変化が見られた。プーチン自身は「話しあって調整した上で決断する」「2012年になればわかる」と明言を避けてきた。

2011年9月24日に統一ロシアの党大会がモスクワで開催され、2012年ロシア連邦大統領選挙においてプーチンを大統領候補にすることを決定し、プーチンも受諾した。また、メドヴェージェフを下院選挙の比例名簿1位に搭載し、プーチンが大統領に返り咲けばメドヴェージェフを首相に起用することも発表された。タンデム体制は大統領と首相のポストを交換して続くこととなった。プーチンは数年前からの2人で決めていた既定路線だったことを党大会で発表している[1][2]。統一ロシアは2011年ロシア下院選挙で過半数を獲得し、プーチンは2012年ロシア連邦大統領選挙で勝利して同年5月に大統領に就任した。2008年の憲法改正英語版により大統領任期が4年から6年へと延長されたため、プーチンが2018年に再選されれば2012年5月から2024年5月まで大統領を務めることもできるようになった。

その他

脚注

参考文献

  • 中村逸郎『ロシアはどこに行くのか─タンデム型デモクラシーの限界』講談社〈講談社現代新書〉、2008年。ISBN 978-4062879682 

関連項目

外部リンク


プーチン政権

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 15:00 UTC 版)

シロヴィキ」の記事における「プーチン政権」の解説

2000年プーチン大統領誕生によって、シロヴィキ台頭してロシア政治占め影響力巨大なものになった一方オリガルヒセミヤー排除されるようになった2003年後半ユコス会長ミハイル・ホドルコフスキープーチン大統領批判開始2005年ホドルコフスキー収監された。2006年負債を負わされたユコスロスネフチ吸収された。2006年10月ホドルコフスキーユコスとの「連帯」表明していたジャーナリストアンナ・ポリトコフスカヤ暗殺された。2006年11月23日にはポリトコフスカヤ射殺事件真相究明関与したアレクサンドル・リトビネンコ暗殺された(en:Poisoning of Alexander Litvinenko)。 シロヴィキ中核は、プーチン自身長官務めたKGB後身であるロシア連邦保安庁FSBアルファ/ヴィンペルなどの特殊部隊国境警備隊傘下収める)である。これに内務省(民警・ミリーツィヤ(ロシア語版英語版)と国内軍)と国防省連邦軍)などの武力省庁が加わる構図である。シロヴィキロシアの政治エリート占め割合年々増加しつつあると考えられている。

※この「プーチン政権」の解説は、「シロヴィキ」の解説の一部です。
「プーチン政権」を含む「シロヴィキ」の記事については、「シロヴィキ」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「プーチン政権」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「プーチン政権」の関連用語

プーチン政権のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



プーチン政権のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのタンデム体制 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのシロヴィキ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS