プーチン政権以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 21:28 UTC 版)
「ロシアのオリガルヒ」の記事における「プーチン政権以降」の解説
プーチン大統領就任にともない、政権と新興財閥の蜜月状態に変化が生じることとなった。プーチンは、テレビを始めとするマス・メディアを保有し政治的影響力を行使して政権と対立関係にある新興財閥に対しては抑制策を取った。 2000年6月13日、ロシア検察当局は、ウラジーミル・グシンスキーを詐欺などの容疑で逮捕した。これを手始めとして、7月11日には、ガスプロムに対しては、財務関係資料提出を要求。ルクオイルに対しては、脱税容疑で捜査を開始。インターロスに対しては、ノリリスク・ニッケル株取得の際の違法性を指摘するなど、矢継ぎ早に捜査を展開していった。 グシンスキーやボリス・ベレゾフスキーらは、こうして壊滅的打撃を受けることとなった。しかし、一方で政権と新興財閥は、ボリス・ネムツォフの仲介で円卓会議を開き、席上、プーチンは、エリツィン時代のような財閥の政治介入は容認しないことを告げた。 こうして新興財閥の大部分は、本来の業務である実業に専心することとなった。ただし、2003年プーチン政権は、石油会社ユコスのミハイル・ホドルコフスキー社長に対し圧力を強めていった。これは、ホドルコフスキーが、政権批判を強め、野党に対して資金援助を増強していったことと、政権が望まないユコスを中心とする石油資本の合併を企図したためである。 プーチン大統領を始めとする政権内のシロヴィキは、政治的脅威となる新興財閥に対しては、これを容赦なく抑圧する方針を掲げる一方で、政権に忠誠を誓った財閥とは関係を深めており、新興財閥の政治的影響力は、シロヴィキと相互補完的な形で依然として残っていると言えよう。 2007年から始まった世界金融危機で、多くの新興財閥が没落の危機に瀕した。プーチン政権は、政府の資金でどの新興財閥を救済するかを選定。選定された財閥は生き残ることが出来る(但し、政府のコントロール下に置かれる)が、選定されなければ没落してゆくという過酷な状況下に新興財閥は置かれた。 しかし、2010年に入って石油や株式市況の改善、そして何より政府の富豪救済策もあって財閥たちは息を吹き返した。これは専門家の予想を裏切った形となった。ただし、財閥が政府に従順であることが重要なのには変わりはない。 2014年クリミア危機で新興財閥のアルカディ・ローテンベルクらプーチンに近しい親友や側近が経済制裁を受けた際にはローテンベルク法を通して補償を行い、またしても息を吹き返した。 キリル・シャマロフなどプーチンの親族が富豪化するなど政商が実権を取り戻しつつあるともされている。2018年4月に米国のドナルド・トランプ大統領は「混乱や憎しみの種を撒く勢力」としてプーチンに近しいロシアの新興財閥などに対する制裁を発表した。
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