第一次プーチン政権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 09:51 UTC 版)
元KGBのウラジーミル・プーチンは、2000年3月の大統領選挙に勝利し、正式に大統領に就任した。ロシアは、15の共和国に分離した後、チェチェン独立派武装勢力によるテロが起こるなど治安が悪化しチェチェン紛争や、他国との領土問題などが絶えない。プーチンは、「強いロシア」を標榜し中央集権化及び法による独裁を強靱に進めた。また、国家資産を半ば私物化していたオリガルヒの制圧に乗り出し、ロシアの国益にかなう企業のみを国有化ないし政府の人間を企業の役員に加えることで国のコントロール下に置いた。こうした手法は強権的と欧米から批判される一方でロシア国民からは広く支持された。また、プーチン時代、ロシアの持つ豊富な天然資源が功を奏し、年々高い経済成長を遂げ、エリツィン時代に比べ貧困も半減した。一方、プーチン時代は反政府的なジャーナリストたちが不審な死を遂げるなど、政権の関与が疑われる事件も多数発生した。しかしながら、プーチンの強力なリーダーシップを国民の多くは支持している。プーチンは登場当初はほとんど無名の存在であったが、時を経るにつれて国民の人気を獲得した。プーチンは2008年に任期満了で退任し、後継に側近のドミートリー・メドヴェージェフを指名した。プーチン自身は引き続き首相として政界に止まり最高権力者の座を維持し、2012年の大統領選より大統領任期を6年とする憲法改正案も議会の賛成多数を得て承認され、自身の再登板の足がかりを得ている。
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