第二次ベネディクト修道院の時代(1064年から1803年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/10 04:41 UTC 版)
「ヴェッソブルン」の記事における「第二次ベネディクト修道院の時代(1064年から1803年)」の解説
1064年になって新たなベネディクト修道院が創設された。最後の首席司祭アーデルベーロがそのまま初代修道院長となった。1100年頃から1220年まで男性の修道院の他に女子修道院もあった。1141年にヴェッソブルンはアウクスブルク司教の支配から独立して、再び領主の直轄となった。1220年に修道院の大部分が焼失した。これに伴い包括的な新しい建物が建設された。 修道院の総じて順調な発展は、熱心な芸術保護を可能とした。1665年に修道院は内装を改装した。1680年に修道院長レオンハルト・ヴァイスは、修道院に雇われている人を収容するための施設の新築に着手した。しかしこの野心的な計画は資金難のために完遂することができなかった。
※この「第二次ベネディクト修道院の時代(1064年から1803年)」の解説は、「ヴェッソブルン」の解説の一部です。
「第二次ベネディクト修道院の時代(1064年から1803年)」を含む「ヴェッソブルン」の記事については、「ヴェッソブルン」の概要を参照ください。
- 第二次ベネディクト修道院の時代のページへのリンク