第二次プレンツラウの和約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/18 23:27 UTC 版)
「ゾルディン条約 (1466年)」の記事における「第二次プレンツラウの和約」の解説
詳細は「プレンツラウ条約」を参照 1470年12月12日、フリードリヒ3世はブランデンブルクによるポンメルン=シュテッティンへの請求を確認した。また1470年1月9日にはヤギェウォ朝ポーランド王国にブランデンブルクに加勢してポメラニアに対抗するよう求めた。8月6日、フリードリヒ3世はポンメルン諸公にブランデンブルクによるポンメルン=シュテッティンの処分への妨害を禁じ、貴族たちにブランデンブルク選帝侯に忠誠を誓うよう命じた。9月16日、ポメラニアとブランデンブルクはメシェリン(英語版)で1472年6月24日までの停戦を合意した。1472年5月30日、第二次プレンスラウの和約がブランデンブルクとポメラニアの間で締結され、紛争をブランデンブルクに有利な形で決着させた。すなわち、ブランデンブルクがポンメルン=シュテッティンを獲得した上、ポンメルン=ヴォルガストがブランデンブルクの封土になった。
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