ありよし‐さわこ【有吉佐和子】
有吉佐和子
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有吉 佐和子
(ありよし さわこ) |
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主婦と生活社『主婦と生活』4月号(1960)より
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| 生誕 | 1931年1月20日 |
| 死没 | 1984年8月30日(53歳没) |
| 墓地 | 小平霊園 |
| 職業 | 小説家、劇作家、演出家 |
| 国籍 | |
| 教育 | 準学士 |
| 最終学歴 | 東京女子大学短期大学部英語科 |
| 活動期間 | 1954年 - 1984年 |
| ジャンル | 小説、戯曲・脚本 |
| 代表作 | 『紀ノ川』(1959年) 『華岡青洲の妻』(1967年) 『出雲の阿国』(1969年) 『恍惚の人』(1972年) 『複合汚染』(1975年) 『和宮様御留』(1978年) |
| 主な受賞歴 | 小説新潮賞(1963年) 女流文学賞(1967年) 文藝春秋読者賞(1968年) 芸術選奨(1970年) 日本文学大賞(1970年) 毎日芸術賞(1979年) |
| デビュー作 | 『落陽の賦(落陽)』 |
| 配偶者 | 神彰(1962年 - 1964年) |
| 子供 | 有吉玉青(長女) |
有吉 佐和子(ありよし さわこ、1931年(昭和6年)1月20日 - 1984年(昭和59年)8月30日)は、日本の小説家・劇作家・演出家。身長165cm。
和歌山県和歌山市出身[1]。日本の歴史や古典芸能から現代の社会問題まで広いテーマをカバーし、読者を惹きこむ多くのベストセラー小説を発表した。カトリック教徒で、洗礼名はマリア=マグダレーナ。代表作は『紀ノ川』、『華岡青洲の妻』、『恍惚の人』など。娘にエッセイストの有吉玉青がいる。正確には「吉」の字は下が長い「𠮷(土吉)」なのだが、小説を書いていた頃には活字がなかった[2]。
経歴
佐和子の母の有吉秋津は明治37年(1904年)に和歌山の庄屋の家に生まれ、旧姓は木本といい、父の木本主一郎は政治家だった[3]。たいそうな大女で結婚条件は自分より背が高いことだった。こうして横浜信用金庫に勤めていた180cmの有吉眞次に嫁ぎ、お手伝いを連れて上京した[2]。
横浜正金銀行勤務の父の赴任に伴い、佐和子は小学校時代を旧オランダ領東インドのバタヴィアおよびスラバヤで過ごした。
1941年に帰国後、東京市立第四高女(現・都立竹台高校)から疎開先の和歌山高女(現・和歌山県立桐蔭高校)へ。その後、光塩高女を経て、府立第五高女(現・都立富士高校)卒業。東京女子大学英文学科に入学したが休学後1952年同短期大学部英語学科卒業。大蔵省外郭団体の職員を経て舞踊家吾妻徳穂の秘書となる。
大学在学中から演劇評論家を志望し、雑誌『演劇界』嘱託となる。同人誌『白痴群』、第15次『新思潮』に参加。1956年に『地唄』が文學界新人賞候補、ついで芥川賞候補となり一躍文壇デビューを果たした[4]。翌年の1957年には『白い扇』が直木賞候補になっている。初期には主として日本の古典芸能を題材とした短編が多いが1959年、自らの家系をモデルとした長編『紀ノ川』で小説家としての地位を確立した。
1962年、神彰(興行師。有吉との離婚後、居酒屋チェーン「北の家族」経営者となる)と結婚。長女として有吉玉青をもうけるが、神の事業の失敗により1964年に離婚した。
1967年4月に行われた東京都知事選挙では、社会・共産推薦候補の美濃部亮吉を応援した[5]。
1968年、文化人類学者畑中幸子が調査中だったニューギニア山中の村を訪れ、エッセイ『女二人のニューギニア』を執筆。帰国後マラリアを発症。
1970年代に入ると代表作となる『恍惚の人』や『複合汚染』が大きな反響を呼び、いわゆる「社会派」的イメージが定着した。その流れの中で、第10期中央教育審議会委員に任命されたほか、参院選全国区に出馬した市川房枝の応援や、「四畳半襖の下張」裁判の弁護側証人として東京地裁で証言するなどの社会的活動も行った。
また、しばしば国内外へ取材旅行に出かけ、1959年〜1960年にかけてロックフェラー財団の奨学金を得て、ニューヨーク州のサラ・ローレンス大学に9か月間留学。1970年〜1971年には、ハワイ大学で、半年間「江戸後期の戯曲文学」を講義している。特に中国との縁が深く(後述)、1961年には亀井勝一郎らと国交回復前の中華人民共和国を訪問し、以後たびたび招待された。1965年には天主教(中国におけるカトリックを指す)調査のため半年滞在し[6]、1978年には『有吉佐和子の中国レポート』執筆のため人民公社に入っている。
1984年8月30日未明、急性心不全[8][注釈 1]のため東京都杉並区内の自宅で死去した。53歳没。東京都監察医務院で行政解剖され、「病死」と断定され、警察も「自殺などの事件性はないと断定」した。祖父の眠る墓に入ったがただ一人キリスト教徒だったので、墓石の戒名のところに「マリア・マグダレナ」と洗礼名を刻むことになった[2]。
有吉の死後、妙法寺(東京都杉並区堀ノ内)に『有吉佐和子の碑』が建立され、命日の8月30日に『有吉忌』と題する追善法要が執り行われている[9]。
主な作品
ストーリーテラーとしての才能と旺盛な好奇心をもち、多分野に亘る長期間の綿密な取材に基づいた作品を次々に発表して、同世代の女性を中心とする多くの読者を獲得した。主な作品をテーマ別に大きく分類すると以下の通りになる。
- 出発点である古典芸能や花柳界を扱った作品
- 『断弦』『香華』『連舞』『乱舞』『一の糸』『芝桜』『木瓜の花』
- 歴史に題材を取った作品
- 『助左衛門四代記』『華岡青洲の妻』『出雲の阿国』『真砂屋お峰』『和宮様御留』
- 特に激動の近代を生き抜いた女性の一生をたゆまず流れる川のイメージにオーバーラップさせる一連の「川もの」
- 『紀ノ川』『有田川』『日高川』『鬼怒川』
- 現代の社会矛盾に鋭い目を向けた作品
- 現代化にゆれる離島の生活を採り上げた『私は忘れない』や『海暗』、人種差別問題に深く切り込んだ『非色』などから、認知症老人とその介護を描いた『恍惚の人』、化学合成物質が人体へ与える悪影響に警鐘を鳴らした『複合汚染』を経て、『有吉佐和子の中国レポート』『日本の島々、昔と今。』のような後期ルポルタージュにつながる。
- 現代人の人間関係の機微をテーマにした作品
- 夫の死後に正妻、妾と小姑の三人が一つ屋根の下に暮らすことになって起こるドタバタを通して老いを見つめた『三婆』、不倫を楽しむ男性の破滅を描く『不信のとき』、社宅団地に住む「奥さま」たちの生活を喜劇的に描いた『夕陽カ丘三号館』、次々と人手に渡っていく青磁の壺の持ち主の人間模様をオムニバス形式で追う『青い壺』、27人の関係者へのインタビューという形式によって一女性の虚実を浮かび上がらせる『悪女について』、演劇界のどろどろした内情をミステリータッチに描いた『開幕ベルは華やかに』などがある。
有吉は演劇に造詣が深く、『ふるあめりかに袖はぬらさじ』などいくつかの戯曲作品があり、また自作小説を中心に脚本化や舞台演出も数多く手がけた。ベストセラーが多いため、作品はしばしば映画化・ドラマ化されている。
文壇の評価と研究史
デビュー当初、有吉はマスコミからは曾野綾子とならぶ「才女」ともてはやされたが、芥川賞・直木賞とも候補に終わった(「才女」には才能のある女の意味だけでなく、それ以前の女性作家のような人生経験に基づいた作品ではなく、頭だけで書いている、という揶揄も含まれていた[10])。『群像』編集長を務めた大久保房男は在任中有吉の作品を一度も掲載しなかった。また武田友寿や千頭剛など一部を除き、同時代の批評家をはじめとする文壇からは敬遠されていた。有吉本人の激しい気性も理由の一つであろうが、文学的にはその物語性の強さが私小説的純文学の気風に合わなかったことが早くから指摘されている。また、一見古風なテーマを好む伝統主義者のように見えるが、実際には伝統を外部から客観的に、時にはエキゾチシズムをもってながめる「外地育ち」「エトランゼ(異邦人)」の視線があるという評価も確立している。一方、歴史を題材とした作品(特に『華岡青洲の妻』『真砂屋お峰』)では史実と矛盾したところが多く見られるとして、歴史小説家からの評価は今なお厳しい。
こうした中、1984年有吉の死去に際して橋本治は有吉文学に通底するモチーフを「女性があっけらかんと生きるのって素敵じゃない?」、つまり筋を通して働くことで男性の束縛から自立した女性の自由と誇りの擁護であると喝破し、これまでの批評家に見られない新しい筆致で肯定的に論じた[注釈 2]。
没後、半田美永・宮内淳子をはじめ、学界の中で有吉を研究対象にする近代文学研究者が増えている。
没後20年を記念して2004年に出版された井上謙・半田美永・宮内淳子編『有吉佐和子の世界』は複数の文学研究者が集まり、ポストコロニアル批評などの新しいアプローチによって正面から有吉とその文学を追究した初めての単行本である。特に巻末の年譜と関連文献目録はこれまでで最も詳細である。
1994年と2005年に関川夏央は有吉を論じ、その生き急いだ感のある一生を「サーモスタットのない人生」と評した。関川は後期作品(『複合汚染』『悪女について』『開幕ベルは華やかに』)に構成の破綻が見られると指摘しているほか、紀行文『女二人のニューギニア』と『有吉佐和子の中国レポート』を対比して、前者の明るさ、おもしろさと後者の焦燥感との落差の原因を「老い」に求め、また有吉の非私小説的作風が畑中幸子を描いた前者と自分自身の奮闘を描いた後者のできばえの差にあらわれていると書いている。
これと関連して関川は、そもそも有吉には自分自身の内面を書く能力も意志もなく、自分と似た性格を持つ他の女性を外から観察して描くことにおいて卓抜さを発揮したのだと評している[注釈 3]が、有吉のこうした傾向は有吉の持つ「外地育ちの視線」と呼応している。「お嬢さま」「才女」「外地育ち」という有吉の位置は、いずれも対象を外部から分析的にとらえるアプローチに結びついており、精神の内省的な把握を重視する姿勢からは遠かった。しかし同時に、そうした「外部」からの視角をもったがゆえに、それまで「内部」では気付かれなかった斬新な論点を世に先駆けて提起することができたのである。
人物
長州人エリートを父方に紀州の名家を母方にもつ「お嬢さま」で幼い頃から病弱であり、学校は休みがちで家で蔵書を乱読した。『孝経』の素読を受け、漢籍の素養があったことはあまり知られていない。理知的で頭の回転が速く、ものおじしない一方、喜怒哀楽と感情の起伏が激しかった。このような直情径行型の性格は、デビュー当時は「老人キラー」として肯定的に受け入れられていたが、中年期以降高名なベストセラー作家として丁重に扱われるようになると逆にマイナスに働き、ときに周囲との摩擦や衝突を引き起こした。また小説家として早くから成功したこと、その作風が文壇主流に認められなかったことから、心中には常にベストセラーを世に送ることで実績を誇示しつづけなければならないプレッシャーがあったと考えられる。
藪内流茶道をたしなみ、「青庵」の茶名をもっていた。和服を好み、外国訪問時には華やかな和装でしばしば周囲の注目を集めた。国交回復前の中国に日本の作家団として招待されたときにも、派手な服装の自粛をすすめられたにもかかわらず、華やかな着物で訪問して歓迎され、周恩来に「今日の私の着物の柄が牡丹(中国の国花)でなくて残念です」と言ったところ、周から「牡丹はあなた自身ですね」と返されている。しかしこうした日本文化への造詣は主として大学在学中に歌舞伎界への出入りを始めてからわずかの間に身につけたものである。
『三婆』『恍惚の人』をはじめ、「老い」をとりあげた作品が多いが、自らの「老化」を語るとき「以前は一度辞書を引けばすぐ覚えられた英単語を忘れるようになった」ことを挙げている。その聡明さがしのばれる。
なお、有吉の作品と人物を考える上で不可欠なのは母親秋津の存在である。代表作となった『紀ノ川』は秋津(文緒)と有吉(華子)自身との関係を含む母方の家系をモデルとした小説であるが、執筆のきっかけとなったのはマスコミの寵児であった有吉に秋津の「あなたが何を書いたというのか」のひとことであった。これを発表してすぐにアメリカへ留学したのも、マスコミから脱出して自分を見つめなおすためであった。また実生活でも、秋津は有吉の離婚後から生まれたばかりの孫の養育のために同居し、その後有吉の死まで実質的な秘書役を務め、作品の批評から資料の整理、常用薬の管理までを引き受けるなど、公私に亘ってその生活に大きな影響力をもっていた[注釈 4]。「四畳半襖の下張裁判」に触発され、「ポルノグラフィーを書く」と宣言して連載を始めた『油屋おこん』が実質的な中断に終わった理由のひとつは、主人公の年齢が娘と同年であったこととならんで、秋津の反対があったからだといわれている。
『油屋おこん』の新聞連載を小幡欣治が読み、有吉佐和子に舞台化を申し出ると「あれはミカンの小説。自分の著作集にも入れていないので困る」と言われ、その後の話し合いで、「おこんとお鹿の設定を使いたいのなら、私(有吉)の名前は出さなくていいから自由におやりになって」と返事があり舞台化された[13]。
『笑っていいとも!』テレビジャック事件
活躍の裏では、長く不眠症に苦しみ長編を書き終わる毎に体力を消耗して入院し、特に中年期以降の健康状態は心身共に安定していなかった。なおテレビにはデビュー当初、NHKで放映された『私だけが知っている』にレギュラー出演していたことがあるがそれ以降は執筆活動を優先して極力出演を避けていた。
死の約2か月前である1984年6月22日の金曜日、『笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」に前日6月21日の木曜日に俳優の有島一郎から紹介され、同番組に生涯唯一の出演を果たす。なお出演を承諾した理由の一つに「『テレフォンショッキング』に出ていないと娘(有吉玉青)に莫迦にされるから」だった[14]。
その同番組の本番中に発生した「『笑っていいとも!』テレビジャック事件」は大きな話題となった[8]。途中までコーナーは滞りなく進行していたが、有吉は翌日のゲストを紹介しても帰る素振りを一切見せず、それどころか持参していたラジカセを取り出し、タモリが作詞した早稲田大学の応援歌(ザ・チャンス)をタモリと共に歌唱するなど結局番組終盤まで居座り続けた[15]。後述通り次のコーナー待ちで痺れを切らした明石家さんまが飛び入りで参加するなどの状況を経て漸く退出するが、この時点で出演から42分であり[注釈 5]、時刻は12時42分を指していた[15][16]。前日、有島が電話で出演依頼した際も、有吉は、「天下の名優有島一郎を前に、背広やネクタイもつけないのはタモリもさんまも失礼だ」と強烈に叱りつけている(このため、タモリは当日本番においては正装で有吉を迎え入れていた)[15][17]。しかし、前日有吉に番組出演を依頼した有島を初め、橋本治(有吉の紹介で翌週の6月25日の月曜日に出演)[14]・池田満寿夫[18]・筒井康隆[19]らはいずれも「痛々しくて見ていられなかった」と評している。また同番組でタモリとのトーク中に有吉自身「不眠症が続いて毎日誘眠剤(睡眠薬)を服用しないと寝られないの」とも語っていた[8]。更にその後、有吉の訃報を伝えたマスコミは揃ってこの事件を有吉の奇行として大きく採り上げた。
『爆笑問題の日曜サンデー』(2010年1月10日放送回)で有吉の特集が組まれ娘の玉青がゲスト出演した。その際に玉青は、この「テレビジャック事件」は番組側から頼まれてやった演出であったことを明かした。「母は一生懸命で真面目な人だから頑張った。途中でお客さんからブーイングがあったみたいだけど母は『頼まれた事だから』とやり通した」と振り返り、その時の有吉の様子を「本当に可哀相だった」と述べている。また玉青は2013年に出版された『タモリ論』の中でこの出来事が取り上げられた際、事実誤認があると著者の樋口毅宏に抗議している。樋口は番組内での有吉を「見るからにイッちゃっていた」とし、その「暴走」ぶりに激高した明石家さんまがついには「死ねババア」とまで口走ったと記していたが、抗議を受けて映像を入手し検証したところ、番組内容が演出だったことの証拠となる箇所があり、また有吉は終始冷静かつ穏やかで、明石家さんまも「死ねババア」などという発言はしておらず、番組のエンディングにも登場した佐和子に対し「私きょう出てきてね、喋ったの『帰ってよ!』だけですよ。先生についていきます」と述べていた[20][15]。樋口は「全部長い歳月を経ての妄想、そして幻想だった」として佐和子・玉青・さんまに謝罪し、「『有吉いいとも!事件』はなかったのだと、伝説を打ち止めにしたい」と述べた[20]。
番組ジャックは有吉の数ヶ月前に黒柳徹子がやっていて、後にそれも番組の演出だったと明かしているが、有吉の場合は時をおかずに亡くなったことがあり、玉青は「ネットでは人々の妄想が妄想をよび、事件と異なる情報が流布していることが、私としては悔しくてなりません」[2]と述べている。
交友関係
有吉は著名作家として交友関係は広かった。特に劇作家・演出家として水谷八重子 (初代)・山田五十鈴・草笛光子・宮城まり子・司葉子など演劇界・芸能界とは深い交流があった。また青年期の石原慎太郎は同世代作家(芥川賞候補(その後受賞)となったのが有吉より1期前)として有吉に親愛感を抱いており、有吉の死去に際して「若い頃一緒にナイトクラブに行ったとき口説こうと思ったが彼女がニンニクを食べた後だったので辟易してあきらめた」と書いている[18]。秦野章はマージャン友達で、有吉は秦野の著書[21]の帯に「彼は知恵の壺から出てきた男だ。かつて一度も間違ったことはない」という推薦文を寄せた。菅直人は市川房枝の若者応援団のリーダーとして『複合汚染』冒頭に登場しているが、有吉は菅が自分を房枝の代わりとして勝手に候補者にかつぎあげようとも考えていたと聞いてゾッとし、「ハンサムだけど嫌われなければならない」と思いつめてことさらにガミガミ怒鳴りつけたと記している。阿川弘之とは古くから親交があり、二人を一巻にまとめて収録している文学全集が複数あるが、阿川自身は有吉の生前からエッセイでかなり手厳しい人物評を書いており、娘の阿川佐和子の名を有吉からとったという風評をくりかえし否定している。
国外で関係の深かった中国では老舎・夏衍・謝冰心など作家の他、政府要人、特に廖承志と親しく、また唐家璇は1965年の有吉滞在時に通訳を務め、『有吉佐和子の中国レポート』では「唐少年」と呼ばれている。老舎の妻と娘は『人民日報』に有吉の追悼文を寄稿している[22]。
顕彰施設
2022年6月5日、和歌山県和歌山市伝法橋南ノ丁に和歌山市立有吉佐和子記念館がオープンした[23]。建物は2階建てで、1階には原稿の展示のほかレストラン・カフェや物販コーナー、2階は書斎や茶室がある[23]。1961年から1979年まで暮らした東京都杉並区の邸宅を再現するため、実際に使用された家具や建具も配置されている[23]。
受賞歴
- 1957年 「石の庭」(テレビドラマ脚本/日本放送協会/大阪中央放送局)で第12回芸術祭テレビ部門奨励賞[24]
- 1958年 「ほむら」(義太夫の作詞/日本放送協会大阪中央放送局)で第13回芸術祭音楽部門芸術祭賞
- 1963年 『香華』で第1回婦人公論(中央公論新社)読者賞[25]、第10回小説新潮賞[26]
- 1964年 『香華』で第1回マドモアゼル(小学館/9巻3号(1968.3)以後休刊)[27]読者賞
- 1967年 『華岡青洲の妻』で第6回女流文学賞
- 1968年 『海暗』で第29回文藝春秋読者賞[28]
- 1968年 『出雲の阿国』で第6回婦人公論読者賞
- 1970年 『出雲の阿国』で第20回芸術選奨文部大臣賞[29]
- 1970年 『出雲の阿国』で第2回日本文学大賞[30]
- 1979年 『和宮様御留』で第20回毎日芸術賞
作品・著書
小説
- 『落陽の賦』(1954年、処女作。1961年に「落陽」と改題)
- 『地唄』(1956年。本来は長編『断弦』の一部)
- 新潮文庫 1967年 国立国会図書館書誌ID:000001100989
- 『処女連祷』三笠書房 1957年
000000961402
- 集英社文庫 1986年11月 ISBN 4-08-749158-7
- 改題『処女連禱』集英社文庫 2014年2月 ISBN 978-4-08-745163-4
- 『まつしろけのけ』文藝春秋 1957年 000000963228
- 『断弦』大日本雄弁会講談社 1957年
000000970905
- 文春文庫 1976年 000001302175
- 新装版 文春文庫 2014年8月 ISBN 978-4-16-790162-2
- 『花のいのち 小説・林芙美子』中央公論社 1958年 000000977780
- 『ずいひつ』新制社 1958年 000000984769
- 『美っつい庵主さん』新潮社 1958年
000000978308
- 新潮文庫 1976年 000001304061
- 『げいしゃわるつ・いたりあの』中央公論社 1959年
000000990026
- 東方社(新文学全書) 1967年 000001116631
- 中公文庫 2025年10月 ISBN 978-4-12-207704-1
- 『江口の里』中央公論社 1959年
000000990968
- 中公文庫 1975年 000001298105
- 改版 中公文庫 2014年9月 ISBN 978-4-12-206015-9
- 『紀ノ川』中央公論社 1959年
000000995485
- 中央公論文庫 1961年 000001021368
- 角川文庫 1963年 000001045668
- 新潮文庫 1964年 000001054961
- 新装版 中央公論社 1973年 000001250622
- 『こぶとりじいさん』伊東万燿絵 講談社(講談社の絵本)1959年11月 000008219975
- 『私は忘れない』中央公論社 1960年
000001003725
- 新潮文庫 1969年 000001294351
- 改版 新潮文庫 2014年9月 ISBN 978-4-10-113205-1
- 『祈祷』講談社 1960年 000001005544
- 『新女大学』中央公論社 1960年 000001012010
- 『おむすびころりん』川上四郎絵 講談社(講談社の絵本) 1960年6月 000010779472
- 『三婆』新潮社 1961年
000001020038
- 新装版 新潮社 1974年 000001245728
- 新潮文庫 1977年12月 000001360789
- 『地唄・三婆』講談社文芸文庫 2002年6月 ISBN 4-06-198300-8
- 『役者廃業・三婆』新潮文庫 2026年6月 ISBN 978-4-10-113224-2
- 『ほむら』講談社 1961年
000001021667
- 文春文庫 2014年12月 ISBN 978-4-16-790254-4
- 『女弟子』中央公論社 1961年
000001026657
- 東方社(東方小説選書) 1966年 000001085672
- 『更紗夫人』集英社 1962年
000001028540
- 集英社文庫 1985年9月 ISBN 4-08-749027-0
- 再編集 集英社文庫 2014年3月 ISBN 978-4-08-745174-0
- 『閉店時間』講談社 1962年
000001029269
- 河出文庫 2022年6月 ISBN 978-4-309-41892-6
- 『雛の日記』文藝春秋新社 1962年 000001033017
- 『脚光』講談社 1962年 000001033770
- 『香華』中央公論社 1962年
000001038686
- 新潮文庫 1965年[31] 000001071011
- 『ブレーメンの音楽隊』矢車涼絵 講談社(講談社の絵本) 1962年5月 000010779483
- 『若草の歌』集英社 1963年 000001040938
- 『連舞』集英社 1963年
000001042354
- 集英社文庫 1979年10月 000001433823
- 改訂新版 集英社文庫 2009年8月 ISBN 978-4-08-746472-6
- 『助左衛門四代記』文藝春秋新社 1963年
000001046536
- 新潮文庫 1965年 000001074398
- 改版 新潮文庫 2014年10月 ISBN 978-4-10-113203-7
- 『有田川』講談社 1963年
000001048273
- 角川文庫 1967年 000001114820
- 『仮縫』集英社 1963年
000001049653
- 集英社文庫 1985年4月 ISBN 4-08-750871-4
- 再編集 集英社文庫 2014年4月 ISBN 978-4-08-745183-2
- 『つるの恩返し』黒崎義介絵 講談社(マザー絵本)1964年 000000831555
- 『非色』中央公論社 1964年
000001055896
- 角川文庫 1967年 000001102166
- 新装版 中央公論社 1973年 000001249103
- 河出文庫 2020年11月 ISBN 978-4-309-41781-3
- 『ぷえるとりこ日記』文藝春秋新社 1964年
000001063375
- 角川文庫 1968年 000001116800
- 岩波文庫 2008年9月 ISBN 978-4-00-311801-6
- 『女館』講談社 1965年 000001067423
- 『一の糸』新潮社 1965年
000001074160
- 新潮文庫 1974年 000001296089
- 河出文庫 2022年5月 ISBN 978-4-309-41888-9
- 『日高川』文藝春秋新社 1966年 000001077644
- 『ライオンのめがね』熊田千佳慕絵(講談社の絵本)1966年8月 000008174977
- 『乱舞』集英社 1967年
000001091817 ※『連舞』続編
- 集英社文庫 1980年2月 000001447496
- 改訂新版 集英社文庫 2009年9月 ISBN 978-4-08-746479-5
- 『華岡青洲の妻』新潮社 1967年
000001098921
- 新潮文庫 1970年 000001294375
- 新装版 新潮社 2004年8月 ISBN 4-10-301117-3
- 『不信のとき』新潮社 1968年
000001107875
- 新潮文庫 1975年 000001309243
- 新潮文庫 2006年6月 上巻 ISBN 4-10-113222-4 ・ 下巻 ISBN 4-10-113223-2
- 『海暗(うみくら)』文藝春秋 1968年
000001110874
- 新潮文庫 1972年 000001298507
- 河出文庫 2026年4月 ISBN 978-4-309-42255-8
- 『かみながひめ』秋野不矩絵 ポプラ社(むかしむかし絵本)1969年 000000803477
- 『女二人のニューギニア』朝日新聞社 1969年
000001247093
- 朝日文庫 1985年7月 ISBN 4-02-260328-3
- 河出文庫 2023年1月 ISBN 978-4-309-41939-8
- 『出雲の阿国』
- 中央公論社 上之巻 1969年 000001247094
- 中央公論社 中之巻 1969年 000001260455
- 中央公論社 上巻・中巻・下巻 1972年 000001251696
- 中公文庫 上之巻 1974年 000001295796
- 中公文庫 中之巻 1974年 000001299549
- 中公文庫 下之巻 1974年 000001293205
- 改版 中公文庫 上巻 2002年8月 ISBN 4-12-204080-9 ・ 下巻 ISBN 4-12-204081-7
- 改版 中公文庫 上巻 2014年6月 ISBN 978-4-12-205966-5 ・ 下巻 ISBN 978-4-12-205967-2
- 『芝桜』新潮社 1970年 上巻・下巻
000001253842
- 新潮文庫 1979年10月 上巻・下巻 000001432945
- 『夕陽ヵ丘三号館』新潮社 1971年
000001264303
- 文春文庫 1975年 上巻・下巻 000001300356
- 新装版 文春文庫 2012年2月 ISBN 978-4-16-713711-3
- 『針女』新潮社 1971年
000001266609
- 新潮文庫 1981年12月 ISBN 4-10-113217-8
- 河出文庫 2025年7月 ISBN 978-4-309-42196-4
- 『恍惚の人』新潮社 1972年
000001267231
- 新潮文庫 1982年5月 ISBN 4-10-113218-6
- 『孟姜女考』新潮社 1973年 000001256002
- 『木瓜の花』新潮社 1973年 上巻・下巻
000001257015
- 新潮文庫 1981年5月 ISBN 4-10-113216-X
- 『真砂屋お峰』中央公論社 1974年
000001262995
- 中公文庫 1976年 000001305081
- 新版 中公文庫 2025年11月 ISBN 978-4-12-207714-0
- 『母子変容』講談社 1974年 上巻・下巻
000001266115
- 講談社文庫 1984年5月 上巻・下巻 ISBN 4-06-183291-3
- 『複合汚染』新潮社 1975年 上巻
000001247091 ・ 下巻
000001247092
- 新潮文庫 1979年5月 000001414777
- 改版 新潮文庫 2002年5月 ISBN 4-10-113212-7
- 『鬼怒川』新潮社 1975年
000001251158
- 新潮文庫 1980年5月 000001457588
- 改版 新潮文庫 2014年8月 ISBN 978-4-10-113215-0
- 『青い壷』文藝春秋 1977年4月
000001350596
- 文春文庫 1980年4月 000001452132
- 新装版 文春文庫 2011年7月 ISBN 978-4-16-713710-6
- 『複合汚染その後』潮出版社 1977年8月 000001343921
- 『和宮様御留』講談社 1978年4月
000001371753
- 講談社文庫 1981年7月 000001513151
- 新装版 講談社文庫 2014年4月 ISBN 978-4-06-277811-4
- 『悪女について』新潮社 1978年9月
000001389545
- 新潮文庫 1983年3月 ISBN 4-10-113219-4
- 『有吉佐和子の中国レポート』新潮社 1979年3月
000001406157
- 新潮文庫 1983年5月 ISBN 4-10-113220-8
- 『日本の島々、昔と今。』集英社 1981年4月
000001503351
- 集英社文庫 1984年4月 ISBN 4-08-750736-X
- 中公文庫 1993年4月 ISBN 4-12-201988-5
- 岩波文庫 2009年2月 ISBN 978-4-00-311802-3
- 『開幕ベルは華やかに』新潮社 1982年3月
000001549470
- 新潮文庫 1984年12月 ISBN 4-10-113221-6
- 文春文庫 2013年12月 ISBN 978-4-16-713712-0
- 『有吉佐和子と七人のスポーツマン エキサイティングなヒーローたちの語りは男のアンソロジー』潮出版社 1984年4月 000001710734
- 『花ならば赤く』集英社文庫 2014年7月 ISBN 978-4-08-745208-2 ※単行本未収録作を没後30年に刊行
- 『有吉佐和子の本棚』河出書房新社 2022年10月 ISBN 978-4-309-03075-3
- 『挿絵の女』河出書房新社 2023年3月 ISBN 978-4-309-03098-2
戯曲・脚本
- 石の庭(1957年): テレビドラマ:1957年NHK大阪、1962年NHK「文芸劇場」
- ふるあめりかに袖はぬらさじ - 亀遊の死(1970年)
- 『ふるあめりかに袖はぬらさじ』中央公論社 1970年
000001246647
- 中公文庫 1982年2月 000001544937
- 改版 中公文庫 2012年9月 ISBN 978-4-12-205692-3
- 山彦ものがたり(1975年)
翻訳
- ダニエル・ベリガン『ケイトンズヴィル事件の九人』戯曲 エリザベス・ミラー共訳 新潮社 1972年 000001268579
- ブノワット・グルー『最後の植民地』カトリーヌ・カドゥ共訳 新潮社 1979年4月 000001410160
アンソロジー
- 『創作代表選集 18』大日本雄弁会講談社 1956年 000000967567 「地唄」収録
- 『昭和33年版 戯曲代表選集』白水社 1958年6月 033862595 「笑う赤猪子」収録
- 『生活の随筆 6 訓』筑摩書房 1962年 000000873453 随筆「新女大学」収録
- 『私の旅情』毎日新聞社 1965年 000001067569 「ジャワ おぶい紐のある風俗」収録
- 『古寺巡礼京都 16』淡交社 1977年8月 000001330999 「大徳寺で考えたこと」収録
選集など
- 『有吉佐和子集』筑摩書房(新鋭文学叢書)1961年 000001017026
- 『新日本文学全集 4 有吉佐和子集』集英社 1962年 000000979530
- 『現代の文学 有吉佐和子集』河出書房新社 1965年 000000979842
- 『われらの文学 15 阿川弘之 有吉佐和子』1966年 000000929965
- 『有吉佐和子集』新潮社 1968年 000002672900
- 『有吉佐和子選集』新潮社 1970年 - 1971年 全13巻
- 1巻 1970年 000001268975
- 2巻 1971年 000001252412
- 3巻 1970年 000001245405
- 4巻 1970年 000001252909
- 5巻 1971年 000001267632
- 6巻 1970年 000001246644
- 7巻 1970年 000001270086
- 8巻 1970年 000001252666
- 9巻 1970年 000001261221
- 10巻 1971年 000001259472
- 11巻 1970年 000001260629
- 12巻 1970年 000001252468
- 13巻 1971年 000001266579
- 『有吉佐和子選集第二期』新潮社 1977年 - 1978年 全13巻
- 1巻 1977年9月 000001350675
- 2巻 1977年10月 000001350676
- 3巻 1978年7月 000001384373
- 4巻 1977年12月 000001360795
- 5巻 1978年1月 000001363802
- 6巻 1978年3月 000001369142
- 7巻 1977年11月 000001357981
- 8巻 1977年8月 000001351096
- 9巻 1978年4月 000001373590
- 10巻 1978年5月 000001376070
- 11巻 1978年8月 000001386807
- 12巻 1978年2月 000001366910
- 13巻 1978年6月 000001380127
- 『有吉佐和子ベスト・エッセイ』ちくま文庫 2025年1月 ISBN 978-4-480-44006-8
外国語訳
中国
- 『木偶凈瑠璃』作家出版社 1965年 OCLC 1487729739
- 『暗流』梅韜譯 七十年代雜誌社 1974年 OCLC 1202740487 『海暗』
- 『有吉佐和子小说选』文潔若 葉渭渠譯 人民文学出版社 1977年 OCLC 35564264
- 『恍愡的人』秀豊 渭慧譯 朝陽出版社 1978年 OCLC 23850944 『恍惚の人』
- 『暗流』中國文藝联合出版社 1984年 OCLC 22797164 『海暗』
- 『祈祷』黑龙江人民出版社 1986年 OCLC 22818828 『祈祷』
- 『暖流』春風文藝出版社 1986年 OCLC 122705913 『海暗』
- 『死神悄悄来临』中囯文联出版社 1987年 OCLC 52238125
- 『非色』上海译文出版社 1994年 OCLC 34380655 『非色』
- 『嫉情人生』四川文艺出版社 1996年3月 ISBN 9787541113345 『華岡青洲の妻』
- 『战争新娘』远方出版社 1998年3月 ISBN 9787805953700
- 『恍惚的人』南海出版 2011年 ISBN 9787544253932 『恍惚の人』
台湾
- 『恍惚的人』天人出版社 1973年 OCLC 1102347086 『恍惚の人』
- 『變色蝶』大地出版社 1986年 OCLC 22372433
- 『公害與你』臺灣地球日出版 1993年 上冊・下冊 OCLC 1338495926
- 『代嫁公主』麥田出版 1995年9月 ISBN 9789577082992 『和宮様御留』
- 『女人啊女人 女人自覺交響曲』實學社出版 1996年 ISBN 9789579175876
- 『家有活神仙』實學社出版 1996年 ISBN 9789578350342 『恍惚の人』
- 『婆媳戰爭』實學社出版 1996年 ISBN 9789578350168
アメリカ
- 『The Doctor’s Wife』広中和歌子、Ann Siller Kostant訳 講談社インターナショナル 1978年 ISBN 9780870113376 『華岡青洲の妻』
- 『The River Ki』Mildred Tahara訳 講談社インターナショナル 1980年 ISBN 9780870113857 『紀ノ川』
- 『The Twilight Years』Mildred Tahara訳 講談社インターナショナル 1984年 ISBN 9784770011770 『恍惚の人』
- 『Kabuki Dancer』James R. Brandon訳 講談社インターナショナル 1994年 ISBN 9784770017833 『出雲の阿国』
韓国
- 『시아버지』한진문화사 1973年 OCLC 16660983
- 『소설 복합오염』형성사 1988年 OCLC 975578678 『複合汚染』
- 『할아버지의 미소』장락 1991年 OCLC 1128501468
- 『은색의 황홀』가나다라 1995年 ISBN 9788978270090
- 『모록』요산 2010年 ISBN 9788996272816 『恍惚の人』
- 『악녀에 대하여: 아리요시 사와코 장편소설』현대문학 2017年 ISBN 9788972758037 『悪女について』
- 『황홀한 사람』청미 2021年 ISBN 9791189134235 『恍惚の人』
メディアミックス
映画化・テレビドラマ化リスト
注:初出発表年順
- 処女連祷(1957年)
- テレビドラマ:1958年 日本テレビ系
- 美っつい庵主さん(うっついあんじゅさん)(1957年)
- 映画:1958年 日活「美しい庵主さん」[32]
- 更紗夫人(1958年)
- テレビドラマ:1967年 NHK
- 紀ノ川(1959年)
- 映画:1966年 松竹「紀ノ川 ─花の巻・文緒の巻」[33]
- テレビドラマ:1964年 NHK
- 私は忘れない(1959年)
- 映画:1960年 松竹[34]
- 新女大学(1959年)
- 映画:1960年 東宝「新・女大学」[35]
- テレビドラマ:1968年 日本テレビ系「新・おんな大学」
- 「青空の歌」
- 映画:1961年 日活「街に気球があがる時」[36]
- 香華(1961年 - 1962年)
- 映画:1964年 松竹[37]
- テレビドラマ:1965年 NET系、1969年 フジテレビ系
- 三婆(さんばば)(1961年)
- 映画:1974年 東宝[38]
- テレビドラマ:1961年 TBS系、1974年 NET系、1978年 TBS系、1985年 フジテレビ系、1989年 TBS系、1991年 - 93年 テレビ東京系
- 閉店時間(1961年)
- 映画:1962年 大映[39]
- 助左衛門四代記(1962年)
- テレビドラマ:1968年 TBS系
- 仮縫(1963年)
- 映画:1969年 東宝「華麗なる闘い」[40]
- テレビドラマ:1977年 NHK
- 一の糸(1964年 - 1965年)
- テレビドラマ:1969年 NHK
- 日高川(1965年)
- テレビドラマ:詳細不明
- 乱舞(みだれまい)(1966年 - 1967年)
- テレビドラマ:1969年 フジテレビ系
- 華岡青洲の妻(1966年)
- 映画:1967年 大映[41] 監督:増村保造 脚本:新藤兼人
- テレビドラマ:1967年 NET系、1973年 TBS系、2005年 NHK「木曜時代劇」[42]
- 出雲の阿国(1967年 - 1969年)
- テレビドラマ:1973年 NET系、1980年 日本テレビ系、2006年 NHK「出雲の阿国」[43]
- 不信のとき(1967年)
- 映画:1968年 大映[44]
- テレビドラマ:1968年 TBS系、1978年 フジテレビ系、1984年 フジテレビ系、2006年 フジテレビ系『不信のとき〜ウーマン・ウォーズ〜』[45]
- 海暗(うみくら)(1967年)
- 芝桜(1969年 - 1970年)
- テレビドラマ:1970年 フジテレビ系
- 針女(しんみょう)(1969年-1970年)
- テレビドラマ:1972年 NHK
- 夕陽カ丘三号館(1970年)
- テレビドラマ:1971年 TBS系[46]
- 恍惚の人(1972年)
- 映画:1973年 東宝[47]
- テレビドラマ:2006年 日本テレビ系
- 木瓜の花(ぼけのはな)(1972年 - 1973年)
- テレビドラマ:1983年 日本テレビ系
- 母子変容(1973年)
- テレビドラマ:1989年 フジテレビ系
- 和宮様御留(かずのみやさまおとめ)(1977年 - 1978年)
- テレビドラマ:1981年 フジテレビ系、1991年 テレビ朝日系
- 悪女について(1978年)
- テレビドラマ:1978年 テレビ朝日系、2012年 TBS系[48]、2023年 NHK[49]
- 開幕ベルは華やかに(1982年)
- テレビドラマ:1983年 テレビ朝日系、2002年 テレビ東京系
舞台
その他
ドキュメンタリー
関連項目
脚注
注釈
- ↑ 山田風太郎(『人間臨終図巻I』徳間書店、初版1986年、1996年再版、p.304)と関川夏央(「サーモスタットのない人生」角川ソフィア文庫版、p.36)は死因について疑問を呈している。主治医の村嶋英世(現、医療法人ファミリー会村島医院院長)は取材に応じて病死としている。
- ↑ 橋本は同年『母子変容』講談社文庫版解説で初めて有吉作品を評し、最晩年の有吉はこの書評に感激して橋本と対談したが、公表された対談はこれが最後となった(「人生、見せ場づくり」『潮』1984年11月)[11] [12]。村上春樹との生前最後の対談は公表されていない
- ↑ 内面描写排除という評価自体は早くから(例えば進藤純孝「郷愁と脱皮の間〈有吉佐和子〉 『紀ノ川』をめぐって」『De Luxeわれらの文学15 阿川弘之・有吉佐和子』解説、講談社、1969年。宮内淳子『作家の自伝109 有吉佐和子』解説、2000年)あるが、それが能力の問題だと断定した論者は関川が初めてである。しかし『作家の自伝109 有吉佐和子』所収の初期随筆には生い立ちについて自己の内面的な観察を語る部分が見られる。一方後期の随筆には「理解は誤解だ」という評論家日沼倫太郎のことばがたびたび引用されており、内面的理解を言語化することへの懐疑がかいまみえる。
- ↑ 玉青を含む3人の関係については丸川賀世子『有吉佐和子とわたし』に詳しい描写がある。
- ↑ この記録は同年3月14日に出演した黒柳徹子の「43分」に次ぐ、当時歴代2位の出演時間であった。尚、これらの放送から30年後の2014年3月14日に同コーナーに出演したとんねるずが番組歴代最長記録を更新した為、2023年現在有吉の記録は歴代3位となっている。
出典
- ↑ “有吉 佐和子 | 和歌山県文化情報アーカイブ”. wave.pref.wakayama.lg.jp. 2020年3月23日閲覧。
- 1 2 3 4 有吉玉青『ソボちゃん』(平凡社2014年)。
- ↑ 人事興信所編『人事興信録 第12版 上』人事興信所、1940年、キ43頁。
- ↑ 上田正昭・津田秀夫・永原慶二・藤井松一・藤原彰『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 66頁。
- ↑ 『朝日新聞』1967年4月10日付朝刊、14頁、「政治づく文化・芸能人 候補なみに多忙」。
- ↑ 中国天主教--1965年の調査より
- ↑ 「有吉氏らが委員に 新中教審の18氏決る」『朝日新聞』昭和47年(1972年)5月30日夕刊、3版、3面
- 1 2 3 樋口毅宏、「「笑っていいとも!」と有吉佐和子、三十年目の真実」『新潮45』2014年1月号、新潮社、2014年1月18日閲覧。
- ↑ 妙法寺の碑 (PDF) 広報すぎなみ(2004年8月21日号/No.1689) p.7『散歩道』有吉玉青
- ↑
. NHKラジオアーカイブス 元文芸誌編集長大村彦次郎談 https://web.archive.org/web/20080402230552/http://www.nhk.or.jp/r2bunka/.
{{cite news}}:|title=は必須です。 (説明) - ↑ 橋本治「彼女の生きていた時代」『有吉佐和子 新潮日本文学アルバム71』、新潮社、97-103頁、1995年5月10日。 ISBN 4-10-620675-7。
- ↑ 橋本治「理性の時代に」『有吉佐和子の世界』、翰林書房、116-121頁、2004年10月18日。 ISBN 4-87737-193-1。
- ↑ 2018年5月1日中日劇場(中日新聞文化芸能局)発行「中日劇場全記録」
- 1 2 「誰が彼女を殺したか」
- 1 2 3 4 “「朝、いつも芸能界やめようと思うのよ」やっとの思いでTVに出続けていた明石家さんまが固めた“覚悟”とは - 『明石家さんまヒストリー2 1982~1985 生きてるだけで丸もうけ』より #2(2/6)”. 文春オンライン. 2021年7月29日. 2023年11月12日閲覧.
- ↑ “「朝、いつも芸能界やめようと思うのよ」やっとの思いでTVに出続けていた明石家さんまが固めた“覚悟”とは - 『明石家さんまヒストリー2 1982~1985 生きてるだけで丸もうけ』より #2(3/6)”. 文春オンライン. 2021年7月29日. 2023年11月12日閲覧.
- ↑ 山川静夫『勘三郎の天気』69p
- 1 2 「有吉佐和子ちょっといい話」『文藝春秋』1984年11月号。
- ↑ 『笑犬樓よりの眺望』新潮文庫、1996年7月。
- 1 2 樋口毅宏「笑っていいとも!」と有吉佐和子、三十年目の真実(新潮45)
- ↑ 秦野章『何が権力か。― マスコミはリンチもする』(講談社、1984年7月) ISBN 4-06-201376-2
- ↑ 胡絜青・舒乙『有吉佐和子,你走得太早(有吉佐和子、あなたは逝くのが早すぎた)』『人民日報』1984年10月9日。
- 1 2 3 有吉佐和子記念館、出身の和歌山市にオープン 書斎など邸宅再現 毎日新聞、2022年6月5日閲覧。
- ↑ 文化庁芸術祭賞受賞一覧 昭和31年度(第11回)〜昭和40年度(第20回)
- ↑ “有吉佐和子の生涯” (PDF). 有吉佐和子記念館. 2022年8月30日. 2022年8月30日時点のオリジナルよりアーカイブ (PDF). 2022年8月30日閲覧.
- ↑ 小説新潮賞受賞作・候補作一覧1-14回
- ↑ マドモアゼル 小学館
- ↑ 文藝春秋読者賞
- ↑ 芸術選奨文部大臣賞(文学部門)受賞者一覧
- ↑ 日本文学大賞受賞作候補作一覧
- ↑ “『香華』有吉佐和子”. 新潮社. 2025年7月14日閲覧。
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- ↑ “私は忘れない”. KINENOTE. キネマ旬報社. 2026年6月10日閲覧。
- ↑ “新・女大学”. KINENOTE. キネマ旬報社. 2026年6月10日閲覧。
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- ↑ ステージナタリー編集部 (2025年7月10日). “大竹しのぶが有吉佐和子の名作を立ち上げる、「華岡青洲の妻」南座で開幕”. ナタリー. ナターシャ. 2026年6月10日閲覧。
- ↑ ステージナタリー編集部 (2025年8月2日). “「華岡青洲の妻」新橋演舞場公演の開幕に大竹しのぶ「人生とは、と深く考えさせられる作品」”. ナタリー. ナターシャ. 2026年6月10日閲覧。
- ↑ ステージナタリー編集部 (2025年10月27日). “文学座「華岡青洲の妻」が開幕、劇団に受け継がれる作品に演出の鵜山仁「再発見の旅に出る」”. ナタリー. ナターシャ. 2026年6月10日閲覧。
- ↑ ステージナタリー編集部 (2016年11月1日). “大竹しのぶ×渡辺えり×キムラ緑子が挑む、“辛口喜劇”「三婆」が開幕”. ナタリー. ナターシャ. 2026年6月10日閲覧。
- ↑ ステージナタリー編集部 (2025年2月2日). “「三婆」開幕、水谷八重子・波乃久里子・渡辺えりの演技を川﨑皇輝が絶賛「学びがたくさん」”. ナタリー. ナターシャ. 2026年6月10日閲覧。
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- ↑ “大竹しのぶ、共演者から恐れられ恐縮「全部の記事が『怖い』で終わっちゃう」”. オリコンニュース(ORICON NEWS). オリコン (2023年9月2日). 2026年6月10日閲覧。
- ↑ “赤い靴を履いて〜作家 有吉佐和子の問いかけ〜”. NHK. 2023年6月3日. 2023年5月27日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2023年5月27日閲覧.
参考文献
- 千頭剛『有吉佐和子 『家』に生きる人々を書く作家』(汐文社、1975年1月)
- 『面白半分7月臨時増刊号 全特集有吉佐和子』(1976年6月)
- 橋本治「理性の時代に」(初出『母子変容』講談社文庫、1984年)『有吉佐和子の世界』(翰林書房、2004年10月)所収 ISBN 4-87737-193-1
- 橋本治「誰が彼女を殺したか」(初出『月刊カドカワ』1984年11月号)橋本治著『恋愛論』(講談社文庫、1986年)所収 ISBN 4-06-183790-7
- 有吉玉青『身がわり 母・有吉佐和子との日日(にちにち)』(初出1989年。新潮社文庫、1992年3月) ISBN 4-10-113270-4
- 丸川賀世子『有吉佐和子とわたし』(文藝春秋、1993年7月) ISBN 4-16-347780-2
- 橋本治「彼女の生きていた時代」『有吉佐和子 新潮日本文学アルバム71』(新潮社、1995年5月) ISBN 4-10-620675-7
- 関川夏央「サーモスタットのない人生」荒俣宏編『知識人99人の死に方』(初出1994年。角川ソフィア文庫、2000年10月)所収 ISBN 4-04-169034-X
- 佐伯彰一・松本健一監修、有吉佐和子著、宮内淳子編『作家の自伝109 有吉佐和子』(日本図書センター、2000年11月) ISBN 4-8205-9555-5
- 井上謙・半田美永・宮内淳子編『有吉佐和子の世界』(翰林書房、2004年10月) ISBN 4877371931
- 関川夏央「有吉佐和子的人生」(初出2005年 - 2006年)『女流 林芙美子と有吉佐和子』(集英社、2006年9月)所収 ISBN 4-08-774818-9
関連項目
外部リンク
- 和歌山市立有吉佐和子記念館
- 有吉佐和子文庫 - 和歌山市民図書館には蔵書の一部を寄贈した「有吉佐和子文庫」がある。
- 妙法寺諸堂案内 - 杉並区の堀之内妙法寺境内に「有吉佐和子の碑」があり、命日には「有吉忌」が営まれる。
有吉佐和子と同じ種類の言葉
| 小説家に関連する言葉 | 施耐庵 曹雪芹 有吉佐和子 有島生馬 木山捷平 |
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