第二次ブルガリア帝国とオスマン帝国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 13:49 UTC 版)
「ルセ」の記事における「第二次ブルガリア帝国とオスマン帝国」の解説
第二次ブルガリア帝国の統治下にあった13世紀から14世紀にかけて、ルシ(Rusi)、あるいはゴリャーム・ヨルゴヴォ(ブルガリア語:Голямо Йоргово、Golyamo Yorgovo)とよばれる集落が置かれた。はじめは1380年に、かつてのローマ遺跡の付近に建設され、ドナウ川交易の拠点なったが、1388年にオスマン帝国に併合される。オスマン帝国の統治下では、1595年に失敗に終わったブルガリア人とブラフ人による蜂起に対する報復として町は破壊された。後に町はルスチュク(トルコ語:Rusçuk、小ルセ)として再建された。町は、後にドナウ川地域におけるオスマン帝国の重要な拠点となり、帝国のドナウ州の州都となった。ドナウ州は現在のソフィア、ヴァルナ、ニシュなどを含む州である。ルセはブルガリアにおける民族復興運動の中心地となった。
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