第二次ピール内閣商務庁長官
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 07:17 UTC 版)
「ウィリアム・グラッドストン」の記事における「第二次ピール内閣商務庁長官」の解説
1843年5月に商務庁長官を辞任したリポン伯爵の跡を継いで、33歳にして商務庁長官に就任した(初入閣)。商務庁長官として様々な改革に携わった。 1844年には鉄道法改正を主導した。これによって各鉄道の三等客車の環境が大きく改善し(それまで三等客車は屋根がなかったり、貨物や家畜と一緒だったりすることが珍しくなかった)、また三等客車の数も増やされ、庶民が鉄道を利用しやすくなった。この鉄道法改正で導入された新しい三等客車は庶民から「議会列車」と呼ばれて親しまれたという。 続いて公共職業安定所を設置し、ロンドン港(英語版)の荷揚げ人足が酒場から徴収される慣習を断ち切った(この慣習のせいでこれまで失業者はお金を工面して酒場で酒を飲んで酒場の店主に媚を売って仕事をまわしてもらわなければならなかった)。 1845年初めには更なる関税廃止改革を断行し、450品目もの関税を廃止した。 しかしこの直後の1845年2月3日に商務長官を辞職することになった。ピール首相がアイルランド議員懐柔のためにダブリンのカトリック聖職者養成学校マーヌース学院(英語版)への補助金を増額させようとしたことが彼の宗教的信念に反したためだった。グラッドストンはそれが避けられない政策であると理解していたが、著書『教会との関係における国家』がまだ出版中だったので言行不一致と批判されることを憂慮してのことだった。庶民院の演説で辞任理由について個人的な良心の問題であることを強調してなるべくピール首相に迷惑をかけない形で辞任した。 [先頭へ戻る]
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