第二次パーマストン子爵内閣
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「ヘンリー・ジョン・テンプル (第3代パーマストン子爵)」の記事における「第二次パーマストン子爵内閣」の解説
パーマストン子爵とジョン・ラッセル卿の約定では二人のうちヴィクトリア女王から大命を受けた方を自由党党首とし、もう一人はそれを支えることになっていた。ところが女王は自分の意見をないがしろにして強硬外交をしがちなこの二人を嫌っており、グランヴィル伯爵に大命を与えた。 グランヴィル伯爵は「パーマストン卿とジョン・ラッセル卿の協力が得られましたら」という条件で受諾し、早速二人に入閣を打診した。パーマストン子爵は入閣を了承したものの、ラッセルは年下のグランヴィル伯爵のもとで働くことを拒否したため、グランヴィル伯爵は組閣を断念した。女王はラッセルの身勝手さに怒り、結局パーマストン子爵に大命を与えた。 こうして1859年6月に第二次パーマストン子爵内閣が成立した。ジョン・ラッセル卿は外相、また後の首相ウィリアム・グラッドストンが蔵相として入閣した。
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