グラフトン公爵内閣とは? わかりやすく解説

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グラフトン公爵内閣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/02 15:32 UTC 版)

グラフトン公爵内閣
1768年 - 1770年
グラフトン公爵(1762年)
成立年月日 1768年10月14日
終了年月日 1770年1月28日
組織
国王 ジョージ3世
首相 グラフトン公爵
総閣僚数 12人
与党
議会における地位 連立政権
野党 グレンヴィル派英語版
詳細
議会任期 第13回グレートブリテン議会
前内閣 チャタム伯爵内閣
次内閣 ノース内閣

グラフトン公爵内閣(グラフトンこうしゃくないかく、英語: Grafton ministry)は1768年10月から1770年1月まで続いた、グラフトン公爵を首相とするグレートブリテン王国内閣

経緯

グラフトン公爵内閣は前任のチャタム伯爵内閣が徐々に解体していく中に成立した。チャタム伯爵内閣は名目上はチャタム伯爵を首相としたが、彼が病気で長期間政務を執ることができなかったため、グラフトン公爵が内閣を実質的に率いていた。グラフトン公爵は議会で多数を維持するべく、1767年末にベッドフォード派英語版ゴア伯爵ウェイマス子爵ヒルズバラ伯爵を入閣させた。グラフトン公爵、チャタム伯爵、そして多くの元閣僚は米州植民地に融和的な政策を支持したが、ベッドフォード派はより強圧的な政策を支持、内閣はグラフトン公爵の意思にかかわらずベッドフォード派の主張に傾くようになった。やがてベッドフォード派が融和的な南部担当国務大臣シェルバーン伯爵の更迭を求めると、チャタム伯爵はようやく王璽尚書を辞任して内閣から離脱した。これによりグラフトン公爵は実質的のみならず名目上でも首相に就任したが、ベッドフォード派は閣内でも大きな影響力を誇った。

グラフトン公爵内閣はコルシカ危機英語版でイギリスの同盟国であるコルシカ共和国フランスに併合される英語版ことを防げなかったなど外交政策が広く批判された。これにより、グラフトン公爵内閣は「ジュニアス英語版の手紙」(ジュニアスという筆名で書かれ、新聞に投稿された手紙)の攻撃に晒された。そして、1770年1月に首相グラフトン公爵、大法官カムデン男爵軍需総監英語版グランビー侯爵英語版が辞任して内閣が倒れた。後任は財務大臣ノース卿率いるノース内閣で、1782年まで続く長期政権となった。

内閣

役職 肖像 名前 在任 所属政党
第一大蔵卿 グラフトン公爵 1768年10月14日 - 1770年1月28日 ホイッグ党
大法官 カムデン男爵 1766年7月30日 - 1770年1月17日 ホイッグ党
チャールズ・ヨーク 1770年1月17日 - 1770年1月20日 無所属
委員会制 1770年1月20日 - 1770年1月28日
枢密院議長 ゴア伯爵 1767年12月22日 - 1779年11月24日 トーリー党
王璽尚書 ブリストル伯爵 1768年 - 1770年 無所属
財務大臣
庶民院院内総務
ノース卿 1767年9月11日 - 1782年3月27日 トーリー党
北部担当国務大臣 ウェイマス子爵 1768年1月20日 - 1768年10月21日 トーリー党
ロッチフォード伯爵 1768年10月21日 - 1770年12月19日 無所属
南部担当国務大臣 シェルバーン伯爵 1766年7月30日 - 1768年10月20日 ホイッグ党
ウェイマス子爵 1768年10月21日 - 1770年12月12日 ホイッグ党
植民地大臣 ヒルズバラ伯爵 1768年2月27日 - 1772年8月27日 無所属
海軍大臣 サー・エドワード・ホーク 1766年 - 1771年 無所属
軍需総監英語版 グランビー侯爵英語版 1763年5月14日 - 1770年10月18日 無所属
無任所大臣 ヘンリー・シーモア・コンウェイ 1768年 - 1770年 ホイッグ党

内閣改造

  • 1768年10月 - 南部担当国務大臣シェルバーン伯爵が罷免され、北部担当国務大臣ウェイマス子爵が南部担当国務大臣に転じ、ロッチフォード伯爵が北部担当国務大臣に任命された。
  • 1770年1月 - 大法官カムデン男爵が罷免され、チャールズ・ヨークが大法官に任命された。ヨークが1770年1月20日に死去した後は大法官が一時的に委員会制に転じた。

参考文献

先代
チャタム伯爵内閣
グレートブリテン王国の内閣
1768年 - 1770年
次代
ノース内閣



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