フォックス=ノース連立内閣とは? わかりやすく解説

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フォックス=ノース連立内閣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/02 15:24 UTC 版)

フォックス=ノース連立内閣
1783年
フォックス(左)とノース(右)
成立年月日 1783年4月2日
終了年月日 1783年12月17日
組織
国王 ジョージ3世
首相 ポートランド公爵
総閣僚数 15人
与党
  • フォックス派英語版
  • ノース派
議会における地位 連立政権
野党 ピット派
野党党首 小ピット
詳細
議会任期 第15回グレートブリテン議会
前内閣 シェルバーン伯爵内閣
次内閣 第1次ピット内閣
ジェームズ・ギルレイによる『ホイッグ党のための断頭台』(A Block for the Wigs、1783年)。右から順にフォックス、ノース、エドマンド・バークケッペル子爵ストーモント子爵。中央の胸像はジョージ3世。

フォックス=ノース連立内閣(フォックス=ノースれんりつないかく、英語: Fox–North coalition)は、1783年に成立したグレートブリテン王国の内閣[1]。名前が示す通り、チャールズ・ジェームズ・フォックスノース卿を支持する党派が連立して成立した内閣である。公式の首相は1783年4月2日に就任したポートランド公爵である。

フォックスはホイッグ党出身でノースは名目上ではトーリー党に属したが、2人ともシェルバーン伯爵内閣に入閣せず野党になっていたため、庶民院で手を組んで倒閣した。

国王ジョージ3世はフォックス=ノース連立内閣、特にフォックスをひどく嫌い、小ピットに組閣の大命を数度与えたが、その時点では組閣できなかったため、ジョージ3世はフォックスとノースの組閣を阻止できず、パトロネージュを拒否するぐらいしかできなかった。

内閣は1783年9月3日にパリ条約を締結して、アメリカ独立戦争を正式に終結させた。さらに小ピットが野党の一員として、汚職と腐敗選挙区を対処するための選挙法改革案を提出した。この改革案は議会で却下されたが、閣内分裂を引き起こすこととなった。

同時期にはイギリス東インド会社が財政問題を抱えており、フォックスは解決策として国有化を主張した。国有化を果たすことで、政府は支持を維持するために任命できる官職が増えることとなる。東インド法案は庶民院を通過したが、ジョージ3世は大反対のままであり、貴族院に対し賛成票を投じた貴族を敵とみなすと通告した。そして、法案が1783年12月17日に否決されると、ジョージ3世は即座に内閣を罷免、小ピットによる第1次ピット内閣が成立することとなった。

フォックスとノースは罷免された後でも庶民院で闘争を続け、小ピットの法案を否決することで辞任を迫ろうとしたが、小ピットは辞任を拒否した。世論は請願、バラ法人英語版の議決、ロンドン大衆の行動をみるに、小ピットを支持しており、1784年3月の総選挙では与党が大勝した。

内閣

太字は閣僚、それ以外は閣外大臣。

役職 肖像 名前 就任日
第一大蔵卿
貴族院院内総務
ポートランド公爵 1783年4月2日
内務大臣
庶民院院内総務
ノース卿 1783年4月2日
外務大臣
庶民院院内総務
チャールズ・ジェームズ・フォックス 1783年4月2日
枢密院議長 ストーモント子爵 1783年4月2日
大法官 委員会制 1783年4月9日
王璽尚書 カーライル伯爵 1783年4月2日
海軍卿英語版 ケッペル子爵 1783年4月8日
財務大臣 ジョン・キャヴェンディッシュ卿英語版 1783年4月5日
軍需総監英語版 タウンゼンド子爵 1783年4月28日[2]
第一商務卿 グランサム男爵 前内閣より続投
ランカスター公領大臣 アシュバートン男爵 前内閣より続投
ダービー伯爵 1783年4月29日
海軍財務長官 チャールズ・タウンゼンド英語版 1783年4月11日
戦時大臣 リチャード・フィッツパトリック英語版 1783年4月11日
軍事支払総監 エドマンド・バーク 1783年4月8日
アイルランド総督 ノーティントン伯爵 1783年

脚注

  1. ^ Chris Cook and John Stevenson, British Historical Facts 1760–1830, Macmillan, 1980.
  2. ^ Ordnance Masters 1544-1855 | Institute of Historical Research

参考文献

先代
シェルバーン伯爵内閣
グレートブリテン王国の内閣
1783年
次代
第1次ピット内閣

フォックス=ノース連立内閣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/04 15:22 UTC 版)

フレデリック・ノース (第2代ギルフォード伯爵)」の記事における「フォックス=ノース連立内閣」の解説

「フォックス=ノース連立内閣」も参照 首相退任ノースはいまだ49歳だったので政界からの引退考えてはいなかった。庶民院内にはいまだ彼を支持する保守派議員数多くいた。1782年秋の庶民院勢力図シェルバーン伯爵派(政府派)140議席ノース卿120議席フォックスポートランド90議席独立系去就不明200議席となっていた。 ノース再起野望があることが判明するシェルバーン派もフォックス派も彼への接近図りフォックス派では初代ラフバラ男爵アレクサンダー・ウェッダーバーン(英語版)やウィリアム・イーデン(英語版)(後の初代オークランド男爵)が、シェルバーン派ではジョン・ロビンソン英語版)やチャールズ・ジェンキンソン(英語版)(後の初代リヴァプール伯爵)がノース味方引き入れようとした。ノース選べる立場にあり、1782年中にはロビンソンによればノース卿の「躊躇疑惑優柔不断が勝ち」(Hesitation, doubt, indecision prevails)、1782年12月フォックスアメリカの独立承認動議提出したときは動議反対した。1783年入った頃には妻や長男支持したこともあって急進派フォックスとの同盟に傾いていた。そして同年2月14日ノースフォックス会談によって両者連合確認された。正反対見られていた両派の連携世間驚かせた。その背景第一にノース権力欲、加えてノースアメリカ独立戦争敗戦失政弾劾から逃れたがっていたことがある世間向けの大義名分として政府講和条約反対があったこともある。 この両派の連携1783年2月19日21日議会シェルバーン伯爵内閣講和条約非難決議可決されシェルバーン伯内閣総辞職追い込まれた。国王ジョージ3世小ピット組閣拒否されると、しぶしぶ第3ポートランド公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュ=ベンティンク名目上首相とするフォックスノース連合組閣の大命与えたノース卿は同内閣内務大臣として入閣した。しかし、歴史学者ジョン・ブルック英語版によればノース卿自身入閣ではなく貴族院移籍望み連立内閣実質的にフォックス指導者とした。 連立内閣政策のうち、重要と言えるのはフォックス東インド法案だけであり、庶民院では大差可決されたが、貴族院では第3テンプル伯爵ジョージ・ニュージェント=テンプル=グレンヴィル脅しにより1783年12月17日賛成76票・反対95票で否決されジョージ3世翌日連立内閣罷免した。ノース卿病気のため東インド法案審議には関与していなかったが、そのとばっちり受けて1784年イギリス総選挙ノース卿派のほとんどが議席失いかろうじて残留した者もフォックス派に吸収された。英国人名事典によればノース卿派の庶民院議員1788年までに17人に減ったという。 連立内閣人事任命では成功しており、1783年9月フォックスから第4代マンチェスター公爵ジョージ・モンタギュー宛てた手紙によれば閣内不一致全くなかったという。しかし世論ではすこぶる不人気であり、ノース卿指名選挙区だったバンベリーですら1784年2月請願出して国王ジョージ3世連立内閣罷免について感謝述べた

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