戦時大臣とは? わかりやすく解説

戦時大臣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/24 07:18 UTC 版)

1724年から1730年までの戦時大臣ヘンリー・ペラム

戦時大臣[1](せんじだいじん、英語: Secretary at War陸軍長官[2]陸軍事務長官[3]陸軍戦時大臣[4]とも)は、イングランド王国グレートブリテン王国、そしてグレートブリテン及びアイルランド連合王国の官職。陸軍の行政と組織に権限と責任を有し、戦争省を統括するが、軍事政策を定める権限はなかった。1794年以降はたびたび閣僚になったものの、国務大臣より下の大臣とされる。1855年に陸軍大臣と合併した後、1863年に廃止された[5]

戦時大臣(1661年 – 1854年)

1809年から1828年までの戦時大臣第3代パーマストン子爵ヘンリー・ジョン・テンプルトマス・ヒーフィー英語版作、1802年。

特記がない限り、1730年から1760年までの在任者の出典は[6]、1760年から1830年までの在任者の出典は[7]、1830年から1854年までの在任者の出典は[5]

名前 在任期間
エドワード・ウォーカー英語版 1642年[8]/1644年[9]
サー・ウィリアム・クラーク英語版 1661年 – 1666年[10]
マシュー・ロック英語版 1666年 – 1683年[9]
ウィリアム・ブラスウェイト英語版 1683年 – 1689年1月/2月[11]
ジョン・テンプル 1689年4月[注釈 1]
ウィリアム・ブラスウェイト英語版 1689年5月 – 1692年[9]/1704年[11]
ジョージ・クラーク 1692年 – 1704年[6][9][12]
ヘンリー・シンジョン 1704年 – 1708年[13]
ロバート・ウォルポール 1708年2月 – 1710年9月[14]
ジョージ・グランヴィル 1710年 – 1712年[15]
サー・ウィリアム・ウィンダム準男爵 1712年 – 1713年[16]
フランシス・グウィン英語版 1713年 – 1714年9月[17]
ウィリアム・パルトニー 1714年 – 1717年[18]
ジェームズ・クラッグス 1717年 – 1718年[19]
第2代キャッスルカマー子爵クリストファー・ワンズフォード英語版 1718年3月[注釈 2]
ロバート・プリングル 1718年5月18日 – 12月24日[21]
ジョージ・トレビー英語版 1718年 – 1724年[22]
ヘンリー・ペラム 1724年 – 1730年[23]
サー・ウィリアム・ストリックランド準男爵 1730年 – 1735年
サー・ウィリアム・ヤング準男爵英語版 1735年 – 1746年
ヘンリー・フォックス 1746年 – 1755年
第2代バリントン子爵ウィリアム・バリントン 1755年 – 1761年
チャールズ・タウンゼンド 1761年 – 1762年
ウェルボア・エリス 1762年 – 1765年
第2代バリントン子爵ウィリアム・バリントン 1765年 – 1778年
チャールズ・ジェンキンソン英語版 1778年 – 1782年
トマス・タウンゼンド 1782年3月 – 7月[24]
サー・ジョージ・ヤング準男爵英語版 1782年 – 1783年
リチャード・フィッツパトリック英語版 1783年
サー・ジョージ・ヤング準男爵英語版 1783年 – 1794年
ウィリアム・ウィンダム英語版 1794年 – 1801年
チャールズ・フィリップ・ヨーク英語版 1801年 – 1803年
チャールズ・ブラッグ英語版 1803年 – 1804年
ウィリアム・ダンダス英語版 1804年 – 1806年
リチャード・フィッツパトリック英語版 1806年 – 1807年
サー・ジェームズ・マレー・パルトニー準男爵英語版 1807年 – 1809年
グランヴィル・ルーソン=ゴア卿 1809年
第3代パーマストン子爵ヘンリー・ジョン・テンプル 1809年 – 1828年
サー・ヘンリー・ハーディング 1828年 – 1830年
フランシス・ルーソン=ゴア卿英語版 1830年[25]
チャールズ・ウィリアムズ=ウィン英語版 1830年 – 1831年
サー・ヘンリー・パーネル準男爵英語版 1831年 – 1832年
サー・ジョン・ホブハウス準男爵英語版 1832年 – 1833年
エドワード・エリス英語版 1833年 – 1834年
ジョン・チャールズ・ヘリーズ英語版 1834年 – 1835年
ホーウィック子爵ヘンリー・グレイ 1835年 – 1839年
トーマス・バビントン・マコーリー 1839年 – 1841年
サー・ヘンリー・ハーディング 1841年 – 1844年
サー・トマス・フリーマントル準男爵英語版 1844年 – 1845年
シドニー・ハーバート 1845年 – 1846年
フォックス・モール 1846年 – 1852年
ロバート・ヴァーノン・スミス英語版 1852年
ウィリアム・ベレスフォード英語版 1852年
シドニー・ハーバート 1852年 – 1854年

注釈

  1. ^ 初代準男爵サー・ウィリアム・テンプルの息子で、任命直後に自殺した[11]
  2. ^ 1718年3月に任命の発表があったが、実際には任命されなかった[20]

出典

  1. ^ 松野修「英国におけるナイチンゲール伝説の形成」『愛知県立芸術大学紀要』第41巻、愛知県立芸術大学、2011年、1-13頁、CRID 1390853649825221504doi:10.34476/00000007ISSN 0389-8369NAID 120005621095 
  2. ^ 根無喜一「陸軍長官について : ウィリアム・プレイスウエィトを中心に」『人文論究』第43巻第1号、関西学院大学人文学会、1993年5月、1-13頁、CRID 1050282677513394560hdl:10236/5473ISSN 02866773NAID 110001069162 
  3. ^ 板倉孝信「反革命戦争中期(1799~1806年)の英国戦時財政に対する請願運動の展開」『相関社会科学』第26号、2016年、43頁。 
  4. ^ 徳永哲「クリミア熱とナイチンゲール」『人道研究ジャーナル』第2巻、日本赤十字学園日本赤十字国際人道研究センター、2013年3月、116-120頁、CRID 1050001202959637760ISSN 2186-9413NAID 120005539930 
  5. ^ a b Cook, Chris; Keith, Brendan (1975). British Historical Facts 1830–1900 (英語) (1st ed.). The Macmillan Press. p. 55. ISBN 978-1-349-07447-1
  6. ^ a b Cook, Chris; Stevenson, John (1988). British Historical Facts 1688–1760 (英語) (1st ed.). The Macmillan Press. p. 61. ISBN 978-1-349-02369-1
  7. ^ Cook, Chris; Stevenson, John (1980). British Historical Facts 1760–1830 (英語) (1st ed.). Palgrave. p. 31. ISBN 978-1-137-06465-3
  8. ^ Firth, Charles Harding (1899). "Walker, Edward" . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 59. London: Smith, Elder & Co. pp. 48–51.
  9. ^ a b c d Haydn, Joseph (1851). The Book of Dignities: Containing Rolls of the Official Personages of the British Empire. Longmans, Brown, Green, and Longmans. p. 190. 2019年5月2日閲覧
  10. ^ Goodwin, Gordon (1887). "Clarke, William (1623?-1666)" . In Stephen, Leslie (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 10. London: Smith, Elder & Co. pp. 448–449.
  11. ^ a b c Hanham, Andrew A. (2002). "BLATHWAYT, William (1649-1717), of Little Wallingford House, Great Street, Westminster and Dyrham Park, Glos.". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年8月29日閲覧
  12. ^ Cruickshanks, Eveline (1970). "CLARKE, George (1661-1736), of All Souls, Oxford.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年5月2日閲覧
  13. ^ Handley, Stuart (2002). "ST. JOHN, Henry II (1678-1752), of Bucklebury, Berks.". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年8月29日閲覧
  14. ^ Hayton, D. W. (2002). "WALPOLE, Robert II (1676-1745), of Houghton, Norf.". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年8月29日閲覧
  15. ^ Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (2002). "GRANVILLE, George (1666-1735), of Stowe, Cornw.". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年8月29日閲覧
  16. ^ Hanham, Andrew A. (2002). "WYNDHAM, Sir William, 3rd Bt. (c.1688-1740), of Orchard Wyndham, Som.". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年8月29日閲覧
  17. ^ Watson, Paula; Wynne, Sonya (2002). "GWYN, Francis (c.1648-1734), of Llansannor, Glam.; Forde Abbey, Dorset; and Scotland Yard, London". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年8月29日閲覧
  18. ^ Sedgwick, Romney R. (1970). "PULTENEY, William (1684-1764).". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年8月29日閲覧
  19. ^ Sedgwick, Romney R. (1970). "CRAGGS, James (1686-1721).". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年8月29日閲覧
  20. ^ Newman, A. N. (1970). "WANDESFORD, Christopher, 2nd Visct. Castlecomer [I] (1684-1719), of Kirklington, Yorks.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年8月29日閲覧
  21. ^ Venning, Timothy (23 September 2004). "Pringle, Robert". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/22806 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
  22. ^ Sedgwick, Romney R. (1970). "TREBY, George (?1684-1742), of Plympton, Devon.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年8月29日閲覧
  23. ^ Sedgwick, Romney R. (1970). "PELHAM, Hon. Henry (1695-1754), of Esher Place, Surr.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年8月29日閲覧
  24. ^ Brooke, John (1964). "TOWNSHEND, Thomas (1733-1800), of Frognal, Kent". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John [in 英語] (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年8月29日閲覧
  25. ^ Jenkins, Terry (2009). "LEVESON GOWER, Lord Francis (1800-1857), of 12 Albemarle Street, Mdx.". In Fisher, David (ed.). The House of Commons 1820-1832 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年5月2日閲覧

戦時大臣(1762年 – 1765年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 07:35 UTC 版)

ウェルボア・エリス (初代メンディップ男爵)」の記事における「戦時大臣(1762年1765年)」の解説

エリス次にビュート伯爵昇進申請した具体的に七年戦争講和会議におけるイギリス代表1761年4月)、財務大臣1762年8月)、閣僚1763年4月)といった申請が行われ、官職就任の噂も在デン・ハーグ大使1762年6月)、在ウィーン大使(1762年9月)と絶えなかった。最終的に1762年12月アイルランド副大蔵卿辞し12月27日に戦時大臣に任命された。1763年8月海軍卿への就任首相ジョージ・グレンヴィル申請したが、失敗している。 戦時大臣として1763年3月陸軍予算について演説して好評を受け、1765年にスピッタルフィールド暴動英語版)の鎮圧陸軍投入した議会では常に政府支持した。この時期には北米西インド植民地課税すべき、リンゴ酒税法案(英語版)への反対者譲歩すべきではないとの考えジェームズ・ハリス英語版)に披露している。 1765年7月第1次ロッキンガム侯爵内閣成立すると、戦時大臣を辞任した

※この「戦時大臣(1762年 – 1765年)」の解説は、「ウェルボア・エリス (初代メンディップ男爵)」の解説の一部です。
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戦時大臣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/11 15:10 UTC 版)

ヘンリー・ジョン・テンプル (第3代パーマストン子爵)」の記事における「戦時大臣」の解説

ポートランド公爵内閣1809年10月陸相カスルリー子爵外相ジョージ・カニング戦争遂行方針をめぐる閣内不一致原因総辞職した。 ついで大命受けたスペンサー・パーシヴァル内閣において、パーマストン卿は大蔵大臣としての入閣打診受けたが、彼は「政界入りたばかり自分閣内大臣職は早すぎる」と断り代わりに閣外大臣職の戦時大臣に就任し以降21年間この役職在職することとなった1812年パーシヴァル首相暗殺されリヴァプール伯爵大命受けて組閣した。パーマストン卿は引き続き戦時大臣に留任したこの頃ナポレオン戦争終結し以降陸軍予算削りたい大蔵省軍人年金恩給確保しなければならないパーマストン卿の間でいざこざ増えたという。 リヴァプール伯爵内閣長期政権となったが、カトリック公務就任認めか否かめぐって閣内対立深まったカトリック解放訴え急先鋒外相ジョージ・カニングであり、パーマストン卿は彼から強い影響受けてカトリック解放自由主義的外交支持した1827年2月首相リヴァプール伯爵脳卒中倒れ国王ジョージ4世カニング組閣の大命与えたが、これに反発した反カトリック解放派のウルトラ・トーリー(英語版)が政権から離脱したトーリー党少数派のみを率いカニングは、ホイッグ党穏健派ランズダウン侯爵派と連立を組むことで組閣した。パーマストン卿はカニング支持していたので引き続き戦時大臣として政権残り閣議への出席認められた(閣内大臣)。 1827年8月カニング急死しゴドリッチ子爵短期政権経て1828年1月ウェリントン公爵組閣の大命があった。ウェリントン公爵カトリック解放反対の立場であり、パーマストン卿と意見違ったが、ウェリントン公爵からこの問題先送りにするので留任しほしいと説得されたためひとまず政権とどまった。 しかしギリシャ独立戦争めぐってオーストリア首相クレメンス・フォン・メッテルニヒ連携深めようとしたウェリントン公爵方針反発強めたパーマストン卿はメッテルニヒ主導権握られるギリシャ独立危うくなる考えていた)。。

※この「戦時大臣」の解説は、「ヘンリー・ジョン・テンプル (第3代パーマストン子爵)」の解説の一部です。
「戦時大臣」を含む「ヘンリー・ジョン・テンプル (第3代パーマストン子爵)」の記事については、「ヘンリー・ジョン・テンプル (第3代パーマストン子爵)」の概要を参照ください。


戦時大臣(1661年 – 1854年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/13 14:41 UTC 版)

「戦時大臣」の記事における「戦時大臣(1661年1854年)」の解説

特記がない限り1730年から1760年までの在任者出典は、1760年から1830年までの在任者出典は、1830年から1854年までの在任者出典は。 名前在任期間エドワード・ウォーカー(英語版1642年/1644年 サー・ウィリアム・クラーク(英語版1661年1666年 マシュー・ロック英語版1666年1683年 ウィリアム・ブラスウェイト(英語版1683年1689年1月/2月 ジョン・テンプル 1689年4月 ウィリアム・ブラスウェイト(英語版1689年5月1692年/1704年 ジョージ・クラーク英語版1692年1704年 ヘンリー・シンジョン 1704年1708年 ロバート・ウォルポール 1708年2月1710年9月 ジョージ・グランヴィル 1710年1712年 サー・ウィリアム・ウィンダム準男爵 1712年1713年 フランシス・グウィン(英語版1713年1714年9月 ウィリアム・パルトニー 1714年1717年 ジェームズ・クラッグス 1717年1718年 第2代キャッスルカマー子爵クリストファー・ワンデスフォード(英語版1718年3月 ロバート・プリングル 1718年5月18日12月24日 ジョージ・トレビー(英語版1718年1724年 ヘンリー・ペラム 1724年1730年 サー・ウィリアム・ストリックランド準男爵 1730年1735年 サー・ウィリアム・ヤング準男爵英語版1735年1746年 ヘンリー・フォックス 1746年1755年 第2代バリントン子爵ウィリアム・バリントン 1755年1761年 チャールズ・タウンゼンド 1761年1762年 ウェルボル・エリス(英語版1762年1765年 第2代バリントン子爵ウィリアム・バリントン 1765年1778年 チャールズ・ジェンキンソン(英語版1778年1782年 トマス・タウンゼンド 1782年3月7月 サー・ジョージ・ヤング準男爵英語版1782年1783年 リチャード・フィッツパトリック英語版1783年 サー・ジョージ・ヤング準男爵英語版1783年1794年 ウィリアム・ウィンダム英語版1794年1801年 チャールズ・フィリップ・ヨーク(英語版1801年1803年 チャールズ・ブラッグ(英語版1803年1804年 ウィリアム・ダンダス(英語版1804年1806年 リチャード・フィッツパトリック英語版1806年1807年 サー・ジェームズ・マレー・パルトニー準男爵英語版1807年1809年 グランヴィル・ルーソン=ゴア1809年 第3パーマストン子爵ヘンリー・ジョン・テンプル 1809年1828年 サー・ヘンリー・ハーディング 1828年1830年 フランシス・ルーソン=ゴア卿(英語版1830年 チャールズ・ウィリアムズウィン英語版1830年1831年 サー・ヘンリー・パーネル準男爵英語版1831年1832年 サー・ジョン・ホブハウス準男爵英語版1832年1833年 エドワード・エリス(英語版1833年1834年 ジョン・チャールズ・ヘリーズ(英語版1834年1835年 ホーウィック子爵ヘンリー・グレイ 1835年1839年 トーマス・バビントン・マコーリー 1839年1841年 サー・ヘンリー・ハーディング 1841年1844年 サー・トマス・フリーマントル準男爵英語版1844年1845年 シドニー・ハーバート 1845年1846年 フォックス・モール 1846年1852年 ロバート・ヴァーノン・スミス(英語版1852年 ウィリアム・ベレスフォード(英語版1852年 シドニー・ハーバート 1852年1854年

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