ヘンリー・ハーディング_(初代ハーディング子爵)とは? わかりやすく解説

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ヘンリー・ハーディング (初代ハーディング子爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 14:26 UTC 版)

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初代ハーディング子爵
ヘンリー・ハーディング
Henry Hardinge
1st Viscount Hardinge
生年月日 1785年3月30日
没年月日 (1856-09-24) 1856年9月24日(71歳没)
前職 陸軍軍人
所属政党 トーリー党保守党
称号 初代ハーディング子爵バス勲章ナイト・グランド・クロス(GCB)、枢密顧問官(PC)、アイルランド枢密顧問官英語版(PC (Ire))、陸軍元帥
配偶者 エミリー(旧姓ステュアート)
親族 第2代ハーディング子爵英語版(長男)
初代ハーディング男爵(孫)

在任期間 1844年7月23日 - 1848年1月12日[1]
女王 ヴィクトリア

庶民院議員
選挙区 ダーラム選挙区英語版
セント・ジャーマンズ選挙区英語版
ニューポート選挙区英語版
ローンセストン選挙区英語版
在任期間 1820年3月8日 - 1830年8月5日
1830年7月31日 - 1830年12月17日
1830年12月17日 - 1832年12月10日
1832年12月10日 - 1844年5月6日[2]

貴族院議員
在任期間 1846年 - 1856年[2]
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初代ハーディング子爵ヘンリー・ハーディング元帥(: Field Marshal Henry Hardinge, 1st Viscount Hardinge, GCB PC PC (Ire)1785年3月30日 - 1856年9月24日)は、イギリスの軍人、政治家、貴族。

陸軍軍人としてナポレオン戦争に従軍した後、トーリー党保守党)所属の政治家となり、同党政権下で閣僚職を歴任した。1844年から1848年にかけてはインド総督を務め、第一次シク戦争を指揮して勝利し、ペシャワールカシミールを獲得した。

経歴

生い立ち

1785年3月30日スタンホープ英語版教区牧師であるヘンリー・ハーディングの息子として生まれる[3][4]。母はその夫人フランセス(旧姓ベスト)[4]

軍歴

1799年7月23日少尉英語版として陸軍クイーンズ・レンジャーズ英語版に入隊[5]1802年3月に第4歩兵連隊英語版の中尉に昇進[6]1803年7月に第1歩兵連隊英語版[7]、さらに1804年4月には第57歩兵連隊英語版へ移籍した[8]

1811年中佐に昇進[4]ナポレオン戦争に従軍し、1813年6月にはビトリアの戦いに参加し[4][9]、負傷している[4]。同年7月のピレネーの戦い英語版[10]、同年11月のニヴェルの戦い英語版にも参加した[11]1815年6月16日カトル・ブラの戦いでは左腕を失う負傷をした[4]。その2日後のワーテルローの戦いにも参加した[4]

1821年7月には大佐に昇進[12]1830年7月には少将に昇進する[13]

政界

1820年から1830年にかけてダーラム選挙区英語版からトーリー党所属の庶民院議員に当選した[4]。1830年にはセント・ジャーマンズ選挙区英語版[14]、1831年にはニューポート選挙区英語版[15]、1832年にはローンセストン選挙区英語版から選出され、貴族院に移籍するまで当選を続ける[2]

1823年4月にリヴァプール伯爵内閣の補給庁書記官英語版に就任した[16]。続いて1828年6月には第1次ウェリントン公爵内閣の戦時大臣に就任する[17]1830年7月から11月にかけては閣内大臣としてアイルランド担当大臣英語版に転じる[4]1841年から1844年にかけては第2次ピール内閣で再び戦時大臣に就任[18][4]

インド総督

1844年5月にインド総督に就任した[19]。当時インドではシク王国との開戦間近という政治情勢になっていたため、新総督には軍人がふさわしいと考えられており、ウェリントン公爵がハーディングを推挙したという経緯だった[20]

1845年12月より第一次シク戦争の戦端を開き、統制がとれていないシク軍を火力の優位で撃破した[20]。しかしハーディングはパンジャブ併合には踏み切らず、シクを独立国として残しつつ、1846年3月にラホール条約を締結させてペシャワールカシミールサトレジ川以南の地の割譲を受けた[20]。シク戦争の勝利はイギリス本国でも高く評価され、ヴィクトリア女王からハーディング子爵位を与えられ、議会からも感謝状が出された[21]

内政ではガンジス大運河工事を再開させたり、茶の栽培を推進したり、タージマハルはじめ遺跡の保護に努めた[21]

ハーディングは自分がシク戦争のために総督に据えられたと理解していたので、1846年6月のピール保守党政権崩壊、ラッセルホイッグ政権誕生を機に辞職しようとしたが、ラッセル首相やイギリス東インド会社役員会から戦果が強固になるまで職に留まるよう慰留されたため、その後もしばらく在職した。シクが条約を履行したことを確認した後の1848年1月に退任した[22][注釈 1]

晩年と死去

1852年中に短期間成立した第1次ダービー伯爵内閣では補給庁長官英語版を務めた[24][4]

1852年9月には軍職の陸軍総司令官英語版にも就任した[25]1854年6月に大将に昇進[26]、さらに1855年10月には元帥に昇進した[27]

1856年9月24日に死去した[4]

人物・評価

ナポレオン戦争で歴戦し、シク戦争を勝利に導いたため、軍人として第一級の評価を受けている[23]

尊大な態度を見せず、物静かな性格だったという[20]

栄典

爵位

勲章

その他

家族

1821年に初代ロンドンデリー侯爵ロバート・ステュアートの娘エミリー嬢と結婚し、彼女との間に第2代ハーディング子爵位を継承するチャールズ・ハーディング英語版以下4子を儲けた[4]

チャールズの子チャールズ(後の初代ペンズハーストのハーディング男爵)もインド総督を務めている[28]

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ ハーディング退任後、ダルハウジー新総督のもとでイギリスとシクは再び戦争となり(第2次シク戦争)、この戦争にシクが敗れた結果、パンジャブ併合が行われ、シクは滅亡している[23]

出典

  1. ^ 秦(2001) p.100
  2. ^ a b c UK Parliament. “Mr Henry Hardinge” (英語). HANSARD 1803–2005. 2014年8月21日閲覧。
  3. ^ "No. 12833". The London Gazette (英語). 24 February 1787. p. 101. 2014年8月21日閲覧
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s Lundy, Darryl. “Field Marshal Henry Hardinge, 1st Viscount Hardinge of Lahore and Kings Newton” (英語). thepeerage.com. 2014年8月21日閲覧。
  5. ^ "No. 15161". The London Gazette (英語). 20 July 1799. p. 730. 2014年8月21日閲覧
  6. ^ "No. 15464". The London Gazette (英語). 23 March 1802. p. 304. 2014年8月21日閲覧
  7. ^ "No. 15600". The London Gazette (英語). 9 July 1803. p. 831. 2014年8月21日閲覧
  8. ^ "No. 15694". The London Gazette (英語). 17 April 1804. p. 475. 2014年8月21日閲覧
  9. ^ "No. 16887". The London Gazette (英語). 19 April 1814. p. 836. 2014年8月21日閲覧
  10. ^ "No. 16934". The London Gazette (英語). 13 September 1814. p. 1850. 2014年8月21日閲覧
  11. ^ "No. 16934". The London Gazette (英語). 13 September 1814. p. 1852. 2014年8月21日閲覧
  12. ^ "No. 17727". The London Gazette (英語). 20 July 1821. p. 1510. 2014年8月21日閲覧
  13. ^ "No. 18709". The London Gazette (英語). 23 July 1830. p. 1535. 2014年8月21日閲覧
  14. ^ "No. 18723". The London Gazette (英語). 3 September 1830. p. 1878. 2014年8月21日閲覧
  15. ^ "No. 18805". The London Gazette (英語). 20 May 1831. p. 974. 2014年8月21日閲覧
  16. ^ "No. 17911". The London Gazette (英語). 5 April 1823. p. 541. 2014年8月21日閲覧
  17. ^ "No. 18477". The London Gazette (英語). 10 June 1828. p. 1118. 2014年8月21日閲覧
  18. ^ "No. 20015". The London Gazette (英語). 7 September 1841. p. 2247. 2014年8月21日閲覧
  19. ^ "No. 20346". The London Gazette (英語). 24 May 1844. p. 1762. 2014年8月21日閲覧
  20. ^ a b c d 浜渦(1999) p.99
  21. ^ a b 浜渦(1999) p.100
  22. ^ 浜渦(1999) p.100-101
  23. ^ a b 浜渦(1999) p.101
  24. ^ "No. 21299". The London Gazette (英語). 9 March 1852. p. 741. 2014年8月21日閲覧
  25. ^ "No. 21362". The London Gazette (英語). 28 September 1852. p. 2573. 2014年8月21日閲覧
  26. ^ "No. 21564". The London Gazette (英語). 22 June 1854. p. 1931. 2014年8月21日閲覧
  27. ^ "No. 21792". The London Gazette (英語). 2 October 1855. p. 3652. 2014年8月21日閲覧
  28. ^ 浜渦(1999) p.163

参考文献

外部リンク

公職
先代:
ロバート・ワード英語版
補給庁書記官英語版
1823年1827年
次代:
サー・ジョージ・クリーク准男爵英語版
先代:
第3代パーマストン子爵
戦時大臣
1828年1830年
次代:
フランシス・ルーソン=ゴア卿英語版
先代:
フランシス・ルーソン=ゴア卿英語版
アイルランド担当大臣英語版
1830年
次代:
エドワード・スミス=スタンリー
先代:
エドワード・リトルトン英語版
アイルランド担当大臣
1834年1835年
次代:
モーペス子爵
先代:
トマス・マコーレー
戦時大臣
1841年1844年
次代:
サー・トマス・フレマントル英語版
先代:
初代アングルシー侯爵
補給庁長官英語版
1852年
次代:
初代ラグラン男爵
グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会
先代:
リチャード・ウォートン英語版
マイケル・アンジェロ・タイラー英語版
ダーラム選挙区英語版選出庶民院議員
1820年1830年
同一選挙区同時当選者
マイケル・アンジェロ・タイラー英語版
次代:
マイケル・アンジェロ・タイラー英語版
サー・ロジャー・グレズリー准男爵英語版
先代:
チャールズ・ロス
ジェームズ・ローチ英語版
セント・ジャーマンズ選挙区英語版選出庶民院議員
1830年1831年
同一選挙区同時当選者
チャールズ・ロス
次代:
チャールズ・ロス
ウィスロップ・マクワース・プリード英語版
先代:
ジョナサン・レイン
ジョン・ドハーティ英語版
ニューポート選挙区英語版選出庶民院議員
1831年1832年
同一選挙区同時当選者
ジョナサン・レイン(1831)
グリムストン子爵英語版(1831–1832)
選挙区廃止
先代:
ジェームズ・ブログデン
サー・ジョン・マルコム英語版
ローンセストン選挙区英語版選出庶民院議員
1832年1844年
次代:
ウィリアム・ボーレス英語版
官職
先代:
ウィリアム・ウィルバーフォース・バード
(インド総督代理)
インド総督
1844年1848年
次代:
第10代ダルハウジー伯爵
軍職
先代:
初代ウェリントン公爵
陸軍総司令官英語版
1852年 – 1856年
次代:
ケンブリッジ公
イギリスの爵位
爵位創設 初代ハーディング子爵
1846年1856年
次代:
チャールズ・ハーディング英語版



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