戦時国際法上合法説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 14:03 UTC 版)
「南京事件の被害者数」の記事における「戦時国際法上合法説」の解説
日本軍による殺害は、戦時国際法上は合法であった、よって虐殺はなかったと主張する説。 法学者佐藤和男、大原康男・竹本忠雄、小室直樹・渡部昇一らによって主張されている。 当時、日中両国間の関係に適用された戦時国際法はハーグ陸戦条約であったが、軍事目標主義(ハーグ25条)によれば、南京城内は安全区も含め防守地域であり、この地域に無差別に攻撃をしても合法であった(一般市民の犠牲は戦死に準じた扱い)が、日本軍は安全区に無差別攻撃を仕掛けなかった[誰?]。 佐藤和男によれば、安全区に侵入した中国軍の便衣兵の摘出は、憲兵によりおこなわれたとされ(予備審問)、これに基づいて裁判(軍律審判)がなされたとするし、捕虜の取扱についても、軍事的必要性や復仇の可能性もある。南京事件の原因は、第二次上海事変を起こした蔣介石や、日本軍の降伏勧告を無視した唐生智、安全区に侵入した中国便衣兵、侵入を許した安全区委員会にある。また、混戦時においては、軍事作戦遂行のため、捕虜を拒否することも許される場合があるという国際法学者ラサ・オッペンハイムの学説にもとづくとする(実際には、オッペンハイムは降伏者を殺してはならないという規範は既に国際社会で普遍化し、ハーグ陸戦条約で明文化されたものとしている。ただ、オッペンハイム自身の考えとしてその例外が許される場合として、たとえば白旗を掲げて降伏の意を表しながら発砲を続ける場合=実際行動として降伏を守っていない、復仇の場合=相手方が行っている戦争法規違反を抑止するための同害を超えない範囲の報復、国際法上の緊急避難の場合((原文:imperative necessity 解釈として刑法上の緊急避難と解することも不可能ではないが、オッペンハイムは軍事上の必要性とはしていない))を挙げている。)。このほか、松井石根の南京城攻略要領、ハーグ陸戦条約の交戦規定の一部(害敵手段の選用)の「規定ヲ努メテ尊重ス」との陸軍次官発支那駐屯軍参謀長宛の通知「交戰法規ノ適用ニ關スル件」を例として、「きわめて厳しい軍事情勢の下にありながら、戦闘部隊が交戦法規の遵守に非常に慎重な考慮を払い、激戦中にも能う限りの努力をそのために払った事実が明らかにされ、筆者などむしろ深い感動を覚えざるを得ないのである。」と評価している。(ただし、この佐藤の主張の内容は、彼自身が実際の状況を確認しているわけではなく、単に彼が想像する事態を前提としており、また、単に通知等の文書を出しただけの事実を高評価しているように読めることに注意。) また、佐藤の推測のもととなった、1937年の8月5日「陸軍次官発支那駐屯軍参謀長宛の通知」での「交戰法規ノ適用ニ關スル件」では、ハーグ陸戦条約の精神に準拠しとし交戦規定の一部(害敵手段の選用)は努めて尊重と言いつつも、別の箇所で、ハーグ陸戦条約を厳密に遵守しなくてよいこと、捕虜という名称もなるべく使わないようすることを、現地軍に命じていたなど、論拠に問題ないともいえず、南京事件論争#便衣兵と戦時国際法、南京事件論争#投降兵・捕虜の扱いと戦時国際法に、この佐藤の説への反論が記述されている。
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