戦時国債の応募と「6人目の兵士」
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「硫黄島の星条旗」の記事における「戦時国債の応募と「6人目の兵士」」の解説
そのころ、戦時国債の売れ行きが悪いことに頭を痛めていたフランクリン・ルーズベルト大統領はこの写真を見て、国債のキャンペーンにもってこいだと考え、写真に写った海兵隊員を呼び戻すよう命じた。このため硫黄島の戦いが終了したあとで、写真に写ったメンバーは帰国することになった。ギャグノンは引き伸ばした写真を見てメンバーを特定するよう命じられて5人を特定したが、6人目の人物(ヘイズ)の名は明かさなかった。実はヘイズが自分の名前を出したらギャグノンを殺すと脅していたのだ。このため大統領命令として名前を明かすよう命じられ、言わなければ軍法会議にかけるとまで告げられたためギャグノンはヘイズの名前を明かした。 ギャグノンはハーロン・ブロックをヘンリー・“ハンク”・ハンセン軍曹と見間違えて、ハンクの名前をあげた(ハンクは1回目の星条旗掲揚に参加している)。4月8日、海兵隊は写真にうつった6人のうちハンクを含めて5人の名前を公表した。唯一、スースリーは遺族の要望によって名前が明かされなかった。 3人の生き残りの海兵隊員たち(ヘイズ、ギャグノン、ブラッドリー(ブラッドリーはハロルド・シュルツに人違いされていた。))は全米を戦時国債徴収のキャンペーンでまわることになった。彼らは英雄として各地で大歓迎を受け、国債も目標額の2倍である233億ドルも売ることができた。 ハーロン・ブロックと間違えてハンセンの名前が発表されたが、ハーロンの母ベル・ブロックは写真を見てすぐに息子だと気づいた。ベルは「あの子のおしめを何度も変えていた私ですもの、写真のお尻の形を見てすぐ分かりました」と語ったという。4月19日、ワシントンについたヘイズもすぐにハンセンの名前が誤りであると気づいた。ヘイズはこのことを上官に伝えたが、上官は「もう発表してしまったんだ」とヘイズに沈黙を強いた。 1年半後、戦後のアイラ・ヘイズはうつ病とアルコール中毒に苦しんでいた。苦しい体をひきずるようにテキサスまで向かい、ブロックの家族に写真に写っていたのはハンセンではなくブロックであることを伝えた。 ブロックの母ベルはヘイズの話を聞いて親交のあった上院議員ミルトン・ウェストに手紙を書いた。ウェストはこの手紙を読んで海兵隊総司令官であったアレクサンダー・ヴァンデグリフトに連絡し、ヴァンデグリフトは真相究明を命じた。調査の結果、ブラッドリーもギャグノンの写真に写っているのがハンセンでなくブロックであることを認めた。ブロック、ハンセン、ヘイズの3人は海兵隊の落下傘部隊に所属していた。
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