戦時国債ツアーと結婚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/06 15:40 UTC 版)
「ジョン・バジロン」の記事における「戦時国債ツアーと結婚」の解説
名誉勲章を授与されたバジロンは本国に帰国し、戦争英雄として戦時国債購入キャンペーンツアーに駆り出された。バジロンの帰国は大々的に宣伝され、故郷の町では栄誉を称えるパレードも行われた。この帰国パレードは1943年9月19日の日曜日に行われ、何千人もの一般市民に加え有名人や全国紙記者もパレードに参加し、全国ニュースとしてライフ誌やFOX ・ムービートーン・ニュースで報道された。パレードの後は戦時国債を売る為全国をまわり、有名人としてのステータスも得た。だがバジロンはこうして人々に称賛されることをありがたく思いつつも、何か場違いな気持ちもあり、戦場に戻って戦うことを軍に希望した。海兵隊はその要望を退け「君は国内戦線でこれからもっと必要とされる存在だ」と説き、金一封を出すことも提案したがバジロンはこれを受けつけず、指導教官の職を提案されたが同じ様に断った。バジロンは再度戦場に戻ることを申し出、ようやく許可が下りた。1943年12月27日、訓練の為カリフォルニア州ペンドルトン基地(キャンプ・ペンドルトン)に赴任したが、このペンドルトン基地駐留中にバジロンは海兵隊婦人予備隊軍曹で将来の妻となるリーナと出会っている。二人は1944年7月10日カリフォルニア州オーシャンサイドにあるセント・メアリー・スター・オブ・ザ・シー教会で結婚式を挙げ、カールスバッドホテルで披露宴を行った。ハネムーンの行先はオレゴン州ポートランドにあるリーナの両親のタマネギ農場であった。この後バジロンは太平洋戦線に戻ることを軍に要求し、承認された。
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