英雄として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:20 UTC 版)
「エルヴィン・ロンメル」の記事における「英雄として」の解説
ドイツアフリカ軍団時代のロンメルは、「砂漠の狐」(独:Wüstenfuchs、英:Desert Fox)と渾名された。英中東軍司令官のクロード・オーキンレック将軍は、「我らが敵ロンメルは、巧みな戦術家ではあるが、人間である。あたかも彼が超自然的能力を持っているかのように評価するのは危険であり、戒めねばならない」、「アフリカの枢軸軍を指すときは、ドイツ軍や敵軍と呼ぶべきで、ロンメルという名前は用いないことが好ましい」と異例の布告を出した。 一方、ドイツ国内では英雄視され、「ゲルマン人らしい」端正な風貌からも宣伝に大いに利用された。しかし、ロンメル自身は華やいだ場が苦手だったらしく、ある日妻にせがまれて渋々ナチスの舞踏会に参加したときには、着飾った女性たちに囲まれて、身動きができなくなったという。
※この「英雄として」の解説は、「エルヴィン・ロンメル」の解説の一部です。
「英雄として」を含む「エルヴィン・ロンメル」の記事については、「エルヴィン・ロンメル」の概要を参照ください。
英雄として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 22:59 UTC 版)
「アレクサンドル・マトローソフ」の記事における「英雄として」の解説
1943年6月19日、マトローソフに対してソ連邦英雄称号が追贈された。さらに、1943年9月8日、ヨシフ・スターリン国防人民委員命令により、第254親衛狙撃連隊にマトローソフの名が冠され、その第1中隊の兵員名簿には永遠に彼が登録されることとなった。映画『兵士アレクサンドル・マトローソフ Рядовой Александр Матросов 』(1948年)も製作され、改葬地であるプスコフ州のヴェリーキエ・ルーキや、ウファ、クナクバエヴォなど各地に記念碑、記念館が建てられた。 マトローソフの名は国際的にも広く知られることになった。中華人民共和国では、朝鮮戦争において身を挺して敵の銃眼を塞いだ黄継光(中国語版)が「マトローソフ式の英雄」と呼ばれている。同様の例は、朝鮮民主主義人民共和国における李寿福やベトナム社会主義共和国におけるチュー・バン・トー(ベトナム語版)など、社会主義国に多数ある。
※この「英雄として」の解説は、「アレクサンドル・マトローソフ」の解説の一部です。
「英雄として」を含む「アレクサンドル・マトローソフ」の記事については、「アレクサンドル・マトローソフ」の概要を参照ください。
- 英雄としてのページへのリンク