便衣兵と戦時国際法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 20:12 UTC 版)
「便衣兵」を参照 兵士が民間人を装って戦闘行為を行う便衣兵であるとして中国兵が殺害された事例があり、例えば12月14日-16日の安全区において、日本軍が、元中国兵を約6500-6700名ほど摘発し、処刑した。この便衣兵としての処刑の戦時国際法における解釈(その「定義」や「兵民分離」)は、後述するとおり意見の違いによる論議がある。 便衣兵、つまり兵士が民間人を装って行う戦闘行動は、当時の戦時国際法ではハーグ陸戦条約第23条第2項で禁止されている。そして、便衣兵であるかないかの基準には、同条約1条で交戦者(戦闘員)は軍服着用が規定されており、同条約第3条には戦闘員であることを示さないで戦闘行為を行おうとしている者は便衣兵の対象となり捕虜待遇を受ける資格がないとされている。石田清史は「戦争法規を犯して敵対行為を働く者は単なる戦時重罪犯、戦時刑法犯であるから国際法の保護を受けない」と述べ、また当時の国際法学者立作太郎も昭和19年に、以下の引用のとおり、民間人の敵対行為は原則禁止されるし、戦時犯罪として「概ね死刑に処し得べきもの」であり、正規軍人が民間人に偽装した場合は交戦者としての特権を失うとされる。(ただし、これはハーグ陸戦条約の特権を失うとの意味であって、そのあとは、軍律や一般の法令の対象となる。また、これらの者に対し日本軍が非行を行えば、当然本来はその行為者は軍法や一般の法令で裁かれるべきものとなる。) (乙) 軍人以外のもの(非交戦者)に依りて行はるる敵対行為軍人以外の者(即ち私人)にして敵軍に対して敵対行為を行う場合に於いては、其行為は、正確に言えば国際法規違反の行為に非ざるも、現時の国際法上、戦争における敵対行為は、原則として一国の正規兵力に依り、敵国の正規の兵力に対して行はるべきものにして、私人は敵国の直接の敵対行為に依る加害を受けざると同時に、自己も亦敵国軍に対して直接の敵対行為を行ふを得ざる以って、敵対行為を行うて捕へらるれば、敵軍は、自己の安全の必要上より、之を戦時犯罪人として処罰し得べきことを認められるのである。 — 立作太郎『戦時国際法論』昭和19年 便衣兵の対象となった場合、軍律(占領軍が制定した占領地の住民に対する規則)や軍律審判(軍律会議による裁判)を経て処罰、また敵対行為(戦時反逆)をすれば軍律で定めれば即決処分も可能であると、されていた。それに関して、日本軍は南京占領前の1937年12月1日に「中方軍令第一、第二、第三号」で、中支那方面軍軍律、軍罰令、軍律審判規則を以下のとおりに定めて、軍律違反の場合、「軍律会議を経て審判により処罰(審判第1条)」そして「長官の許可を得たうえで死刑(審判第8条)は可能」と定めていた。 中支那方面軍軍律第一条 本軍律は帝国軍作戦地域内に在る帝国臣民以外の人民に之を適用す第二条 左記に掲ぐる行為を為したる者は軍罰に処す 一、帝国軍に対する反逆行為 二、間諜行為 三、前二号の外帝国軍の安寧を害し又は其の軍事行動を妨害する行為第三条 前条の行為の教唆若は幇助又は予備、陰謀若は未遂も又之を罰す 但し情状に因り罰を減軽又は免除することを得 第四条 前二条の行為を為し未だ発覚せざる前自首したる者は其の罰を減軽又は免除す — 中方軍令第一号 昭和十二年十二月一日 中支那方面軍軍罰令第一条 本令は中支那方面軍々律を犯したる者に之を適用す第二条 軍罰の種類左の如し 一、死 二、監禁 三、追放 四、過料 五、没取 — 中方軍令第二号、昭和十二年十二月一日 中支那方面軍軍律審判規則第一条 軍律会議は軍律を犯したる者に対し其の犯行に付之を審判す第二条 軍律会議は上海派遣軍及第十軍に之を設く第三条 軍律会議は之を設置したる軍の作戦地域内に在り又は其の地域内に於いて軍律を犯したる者に対する事件を管轄す(中略)第四条 軍律会議は軍司令官を以て長官とす第五条 軍律会議は審判官三名を以て之を構成す 審判官は陸軍の将校二名及法務官一名を以て充て長官之を命ず第六条 中華民国人以外の外国人を審判に付せんとするときは方面軍司令官の認可を受くべし第七条 軍律会議は審判官、検察官及録事列席して之を開く第八条 軍律会議に於て死を宣告せんとするときは長官の認可を受くべし — 中方軍令第三号,昭和十二年十二月一日 軍服を脱いで民衆に紛れようとしただけでは便衣兵とみなさない、という考えがある。つまり、(軍服着用などの)交戦者資格を満たしていないだけでなく、「害敵手段(戦闘行為やテロ行為)を行うもの」を便衣兵とみなす、と戦前の国際法学者信夫淳平は説明する。便衣兵の定義は、「交戦者たるの資格なきものにして害敵手段を行ふのであるから」であるとする。同じく、戦前の戦時国際法の研究者篠田治策も、当時『北支事変と陸戦法規』において、抗戦の意図はなく専ら逃亡目的で平服を着用していて敵対行動をとらない兵士は、便衣兵とは見なしていない、と記している。また、北岡伸一も、「便衣隊についても、本来は兵士は軍服を着たまま降伏すべきであるが、軍服を脱いで民衆に紛れようとしたから殺してもよいというのは、とんでもない論理の飛躍」と主張している。 軍服を脱いで民衆に紛れようとしただけで便衣兵とみなすという考えもある。((軍服着用などの)交戦者資格を満たしていない場合は(そのまま)非合法戦闘員(便衣兵)となり、戦時国際法に照らして処刑しても合法であり虐殺ではないと東中野修道は主張した(東中野のこの国際法理解については批判があり、吉田裕が反論し、論争が行われた)。国際法学者佐藤和男は、一般に武器を捨てても(機会があれば自軍に合流しようとして)逃走する敵兵は、逃走したと認められないので攻撃できると述べた。 便衣兵の識別(兵民分離)について、当時の国際法学者信夫淳平の(1932年第一次上海事変の経験から)意見として、便衣隊は戦時国際法違反であるものの、「確たる証拠なきに重罪に処する」は「理に於ては穏当でない」と見なした。同様な意見として、秦郁彦は、「便衣兵は捕虜と異なり、陸戦法規の保護を適用されず、状況によっては即時処刑されてもやむをえない」が、「一般市民と区分する手続きを経ないで処刑してしまってはいいわけができない」としており。 そのうえで、便衣兵摘発時の兵民分離について、国際法学者佐藤和男は、南京占領後の潜伏敗残兵の摘発・処刑は、兵民分離が厳正に行われたと述べている。しかし、一方で、南京占領後、便衣兵摘発に日本軍は手こずり、疑わしい一般人を処刑したとされる記録がある。南京事件の日本側記録では、中国側敗残兵追及の際の兵民分離は必ずしも一律に厳正でなく、ときに荒っぽく行われており、水谷上等兵の証言では「目につく殆どの若者は狩り出される」「市民と認められる者はすぐ帰」すが、他は銃殺、「哀れな犠牲者が多少含まれているとしても、致し方のないこと」とある。 また、便衣兵の審判なしの処刑に関しては、日本軍は、前述の様に、中支那方面軍軍律・軍罰令・軍律審判規則を定め、便衣兵の様な軍律違反の場合、正規な手続きを経た処罰、つまり「軍律会議を経て審判により処罰(審判第1条)」そして「長官の許可を得たうえで死刑(審判第8条)は可能」を定めていた。そのため、北村稔も「手続きなき処刑の正当性」には疑問を示している。一方で、国際法学者佐藤和男は、南京占領時の潜伏敗残兵の摘発・処刑は、兵民分離が厳正に行われており、しかも、(捕獲した中国兵が)多人数であったために軍律審判の実施が不可能(軍律審判なしの処刑も可能)と述べる。 当時、第十軍(柳川兵団)に同行した小川法務官の陣中日記には、上海から南京其れ以降における日本兵の行った暴行・窃取・掠奪・強姦・殺人・放火また日本軍内部では上官脅迫が記されている。事態を憂慮しつつも、とくに南京事件あたりからは個人判断として強姦は悪質なものを除いて裁かないことにした(このため憲兵からは苦情を受けている)等の記述は見えるが、軍律審判なしの殺害を可とする方針が軍から出ているとか、彼が職務権限に基づきそういう法的見解や説をとっているとかいったことは記されていない。また、事件処理の対象がほとんど日本兵による犯罪で、中国側からの犯罪がきちんと審判のされている形跡がない(勝手に現場処分されていた?)。また、度々、国際問題になることを恐れて証拠隠滅策を講じることを献策している。
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