戦時増備車グループ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 02:19 UTC 版)
「阪和電気鉄道の車両」の記事における「戦時増備車グループ」の解説
南海山手線となった1941年 - 1942年に順次竣工したクタ3000・クタ7000形の両形式は、合併前に阪和電気鉄道が1939年から投入を計画して車両設計認可を申請、一部を発注していたものである。 これらの内訳は以下の通り。 3扉ロングシート車クタ3000形制御車。窓配置はd1D(1)1 2D(1)1 1(1)D1d。クタ3001 - 3002:1941年3月竣工。日本車輌製造本店製。 クタ3003 - 3007:1942年5月竣工。日本車輌製造本店製。 クタ7000形 クタ7001 - 7013制御車。窓配置はd1D(1)1 2D(1)1 1(1)D2。クタ7001 - 7002:1941年3月竣工。日本車輌製造本店製。 クタ7003:1942年5月竣工。帝國車輛工業製。 クタ7004 - 7007:1942年8月竣工。帝國車輛工業製。 クタ7008 - 7013:1943年3月竣工。日立製作所笠戸工場製。 これらは基本的にモタ300形・クタ750形と同一仕様のロングシート車ながら、窓の上下の補強帯板を外板の内側に隠したノーシル・ノーヘッダー構造で全溶接組み立て[要出典]の車体となっている。また、このグループはラッシュ対策で客用扉が1200 mm幅に拡幅され、更に運転台が全室式から片隅運転台となっており、クタ3000形は両運転台、クタ7000形は片運転台で設計されている。 クタ3000形は、本来電動車のモタ3000形として計画されたが、戦時体制下では電装部品の調達が困難で、混雑激化のためこれを待たずに、全車を制御車として竣工させたものである。 この内、クタ3000形3001 - 3002は電装品を揃えて1941年12月18日付で車両設計変更認可申請の提出、翌1942年5月5日付で認可を受け、電装工事が同年7月21日付で竣工してモタ3000形3001, 3002となった。更にクタ3000形3003 - 3007についても同様に電装品を揃えて1943年5月3日付で車両設計変更認可申請を提出し、同年6月21日付で認可を受けた。しかし、人員不足等で電装工事を保留している間に揃えた電装品が故障車の修理に順次流用された結果、戦時買収をはさんだ1944年5月16日付モタ3000形3003 - 3004の2両の電装工事が完了したに留まり、残る3005 - 3007は非電装のままとされ、最終的にクハ25形25113 - 25115として旧クタ7000形と同一グループに編入されている。 クタ3000・クタ7000は3001 - 3007と7001・7002が従来通り日本車輌製造で製造されたが、7003 - 7007は地元堺の帝国車輌、7008 - 7013は日立製作所笠戸工場で製造された。第1陣である3001・3002・7001・7002の4両以外は、鋼製の張上げ屋根を止めて屋根布張りで全周に屋根布押えが付いた(雨樋は扉上部のみ)一般的な屋根に変更され、一部内外装が簡略化されるなど戦時色の濃い仕上がりであった[要出典]。
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