第1次ポートランド公爵内閣
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「ウィリアム・キャヴェンディッシュ=ベンティンク (第3代ポートランド公爵)」の記事における「第1次ポートランド公爵内閣」の解説
「フォックス=ノース連立内閣」も参照 シェルバーン伯爵の辞任に伴い、チャールズ・ジェームズ・フォックス(外務大臣)とノース卿フレデリック・ノース(内務大臣)の連立政権(フォックス=ノース連立内閣)が成立すると、名目上の第一大蔵卿(首相)をつとめた。それまでロッキンガム派とノース派が敵対していたにもかかわらず、連立内閣が成立したことは、ポートランド公爵が「両派の政策の差は対米戦争の終結に伴い消滅した」と説得したことが一因だったという。 この内閣期にアメリカ独立戦争の講和条約であるパリ条約が締結されたが、それ以外で重要と言える政策はフォックスの東インド法案だけだった。庶民院では大差で可決されたが、貴族院では第3代テンプル伯爵ジョージ・ニュージェント=テンプル=グレンヴィルの脅しにより1783年12月17日に賛成76票・反対95票で否決され、ジョージ3世は翌日に連立内閣を罷免した。 1784年イギリス総選挙で連立内閣の支持者の多くが落選したことはフォックス、ノース、ポートランドの不人気を示したが、内閣の崩壊によりポートランド公爵は再び政争の犠牲者としてみられるようになり、ポートランド公爵の首相再任がホイッグ党の復権の絶対条件になった。
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