政争とは? わかりやすく解説

せい‐そう〔‐サウ〕【政争】

読み方:せいそう

政治上の主義・主張についての争いまた、政権奪い合い


政争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/06 09:59 UTC 版)

政争(せいそう、political strife)とは、政治における争いのことである。また、与野党で政権を奪い合い、政権を獲得又は選挙で勝利するために対決姿勢で相手を追い落とそうする行為。更には同じ党内における党内権力闘争などを含む政治的な抗争のことである[1][2]

事例

戦前の日本の一般庶民には政党政治は、とかく利権誘導や、野党が与党、与党が野党と反対党に対する追い落とし目的の政争ばかりを繰り返しているように見えていた。そのため、政党政治・財閥を含む政治への不満から1932年に五一五事件が起きた際に、犬養毅首相を殺害した海軍軍人の被告人たちに国民から数多くの減刑の嘆願書が寄せられる助命運動が起きた[3]

政争を繰り返す政党政治は、政治家への失望と憎悪へ繋がり、重臣、軍閥財閥、と共に、1936年の二・二六事件の原因となった[4]

ねじれ国会の中で、野党が政権奪取を目的に仕掛けた政争が、最悪の結果を招いたのが天皇機関説事件である。1935年(昭和10年)、内閣による軍事権限の行使を排除したいと考える軍部と、議会で過半数を占める野党・立憲政友会が、海軍穏健派の岡田啓介首相率いる岡田内閣(立憲民政党)に対し、天皇機関説を口実に攻撃で連携した。天皇機関説は、「統治権は法人たる国家に属し、その最高機関たる天皇が国務大臣の輔弼を受けて行使する」とする解釈であり、これは内閣の軍事への関与を憲法的に正当化する主流学説であった。これを不敬と断じた政友会と軍部は、岡田内閣の打倒を狙って政治的攻撃を仕掛けたのである。この動きは選挙を見据えた政争であったが、結果的に立憲政友会による政党政治に対する自殺行為となった[5]

政争の具

「政争の具」とは、政争に勝つために利用する事柄や手段[6][7]。英語でpolitical footbal[7]。アメリカでは、新型コロナウイルス禍以降に、マスク着用やワクチン接種が政争の具になった[8]。日本製鐵によるUSスチール買収計画も、労組票目当てでバイデン候補とトランプ候補の政争の具にされた[9]

脚注

  1. ^ 暮らしそっちのけの政争/民主代表選で志位委員長”. www.jcp.or.jp. 2022年7月25日閲覧。
  2. ^ 高橋正衛『二・二六事件―「昭和維新」の思想と行動』p27,中公新書,1994年
  3. ^ 五・一五事件は2年前にすでに予告されていた!? | 渡部昇一 | テンミニッツTV” (jp). 10mtv.jp. 渡部昇一. 2022年7月25日閲覧。
  4. ^ 高橋正衛『二・二六事件―「昭和維新」の思想と行動』中公新書、増補新版1994年
  5. ^ 近代発 見果てぬ民主Ⅸ <4> 天皇機関説事件 学説排撃に野党飛び付く”. 中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター. 2025年5月6日閲覧。
  6. ^ デジタル大辞泉. “政争の具(セイソウノグ)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2025年5月6日閲覧。
  7. ^ a b 政争の具の英訳”. eow.alc.co.jp. 2025年5月6日閲覧。
  8. ^ 政争の具”. 西日本新聞me (2025年5月6日). 2025年5月6日閲覧。
  9. ^ USスチール買収計画は政争の具に…トランプ氏「反対」明言、バイデン氏も労組票狙う”. 読売新聞オンライン (2024年3月16日). 2025年5月6日閲覧。

政争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 13:45 UTC 版)

桓温」の記事における「政争」の解説

桓温白石帰還すると、上疏して姑孰帰る事を求めた朝廷桓温丞相進めた上で建康に留まって社稷を守るよう詔を下したが、桓温はこれを固辞して鎮所に戻る事を求めた朝廷侍中王坦之派遣し桓温を相として朝廷迎え1万戸を加増する事を伝えたが、これも受けなかった。さらに詔が下り、袁真の反乱により西府物資不足していた事から、世子の桓熙に布3匹・米6万斛与えられ次子の桓済は給事中任じられた。 7月簡文帝重篤な病となると桓温後事託す旨を伝え、すぐに参内するよう命じた。詔は1夜の内に4度発せられたが、桓温謝安王坦之後事託すべきだと上奏し、入朝しなかった。この上奏が通る前に簡文帝崩御した。死の間際簡文帝桓温へ『家国の事は全て公に託すので摂政となり周公倣え』と遺詔残したが、王坦之はこれを『諸葛武侯諸葛亮)・王丞相王導)の故事のようにせよ』と書き換えた。桓温簡文帝自分禅譲するか、もしくは周公のように居摂求められる思っていたので、望み通りにならなかった事を知ると甚だ憤怒した。弟の桓沖に書を送って遺詔には我に武侯諸葛亮)、王公王導)の故事に依れとしか無かったわ」と伝えた簡文帝崩御した後、群臣桓温反発恐れて太子擁立行えず、桓温決定権委ねようとしたが、尚書僕射王彪之はこれに猛反対して太子司馬曜(孝武帝)に位を継がせた。褚太后孝武帝幼く、また服喪の期間であったことから、桓温摂政任せる様提言したが、王彪之により阻止された。これより、王氏・謝氏が大権を握るようになったので、桓温日々不満を抱きながら過ごした孝武帝即位すると詔が下り内外事務政務全て桓温諮問した上で行うこととした。後に孝武帝謝安派遣すると、改め桓温入朝求めた同時に前部羽葆鼓吹・武賁60人を加える事を伝えたが、桓温はこれを固辞した寧康元年373年2月桓温入朝同意する山陵簡文帝陵墓高平陵)へ赴いた桓温入朝合わせて詔が下り桓温は常に無敬のままでいる事を許された。また、尚書謝安らには桓温を新亭に奉迎し、百官はみな道で拝するよう命じられた。当時地位人望があった者は、皆この命令戦慄して青ざめた建康では流言広まり桓温王氏・謝氏を誅殺し、晋朝転覆するだろうと言われた。桓温到来すると、妖賊の盧悚が宮殿の庭に侵入するという事件が起こった桓温はこれを理由尚書陸始を捕えるよう廷尉命じ、罪を咎めたうえで殺したしばらくして桓温は病を発して姑孰戻った建康滞在したのはわずか14日であった姑孰へと戻ると、さらに病状悪化し起き上がることが出来なくなった桓温死期が近いのを悟り朝廷根回しをして九錫加えるよう何度も催促したが、謝安王坦之桓温容態が悪い事を知ると、その実行を出来るだけ遅らせた7月九錫下賜する文が完成する前に桓温死去した享年62であった丞相追贈され、宣武と諡された。皇太后孝武帝は共に朝堂三日渡って臨した。そして、九命・袞冕の服・朝服1具・衣1襲・東園の秘器・銭200・布2千匹・臘500斤を下賜して、喪事に供するよう詔を下した喪礼については、全て太宰安平王司馬孚・漢大将軍霍光故事倣って行われ、九旒輅・黄屋左纛・轀輬車・挽歌2部・羽葆鼓吹・武賁班剣100人が下賜された。また、南郡公に7500戸を加増し、方三百里を進地とする優冊が出され、さらに銭5千万・絹2万匹・布10万匹が下賜された。 元興2年403年11月、子の桓玄桓楚建てると、桓温追尊して宣武皇帝とし、廟号太祖とした。その墓は永崇陵と名付けられた。

※この「政争」の解説は、「桓温」の解説の一部です。
「政争」を含む「桓温」の記事については、「桓温」の概要を参照ください。

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政争

出典:『Wiktionary』 (2018/07/05 22:27 UTC 版)

名詞

せいそう

  1. 政治における争い政界争い

「政争」の例文・使い方・用例・文例

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