政争とカーリスターン建国運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 22:30 UTC 版)
「ジャルネイル・シン・ビンドランワレ」の記事における「政争とカーリスターン建国運動」の解説
かつてビンドラーンワーレーは、自身の政治的野心についての周囲の疑いに対して以下のように答えている。 「 もし、私が政党アカーリー・ダルやシク教寺院運営委員会(SGPC)の代表、あるいはインド立法議会議員(MLA)、政府閣僚や国会議員などになったなら、私はあなた達に靴でぶたれて当然だろう。 」 このような声明にもかかわらず、ビンドラーンワーレーは1979年いくつかの政治活動に影から非公式に関与していた。ビンドラーンワーレーは、全140議席のシク教寺院運営委員会(SGPC)選挙に前もって40人を立候補させた。しかし、当選したのはわずか4人という大敗を喫する。その1年後、ビンドラーンワーレーは総選挙の期間中、3つの選挙区で自身の政治団体のために積極的な選挙運動を行う。 選挙活動中、ビンドラーンワーレーはどんな政党の事務所も立ち寄る事はしなかった。ビンドラーンワーレーがパンジャーブ州のシク教政党「アカーリー・ダル」の主導を握ると、1984年の雑誌タイムの記事に取り上げられ、これによって彼の知名度が大きく上がった。 ビンドラーンワーレーは絶大な権力をふるい、パンジャーブ州では政治派閥がビンドラーンワーレーの承認無しに主な活動を決めることがなかった。 ビンドラーンワーレーはシク教徒の独立国家「カーリスターン」建国の支持者として広く知られていた。ところがビンドラーンワーレーは、BBCのインタビューで「もしインド政府がカーリスターン建国に同意したら」という質問に対して、慎重かつ曖昧な態度で「反対はしないだろう」と答えるだけだった。ビンドラーンワーレーを含む多くのシク教徒の考えは「私達はカーリスターン建国に賛成していないし、反対もしていない」であった。カーリスターン建国に対するシク教徒達の反応をビントラワレはこう評している。 「私達はそれを反対はしないだろう。しかし、私達は1947年(の分離独立時の惨劇)を繰り返すつもりもない」。ビンドラーンワーレーはこうも付け加えた。「もしインド政府がシク教の聖地・黄金寺院の建物を侵害したら、シク教徒は独立の礎を築くだろう。」。
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