パンジャーブ州とは? わかりやすく解説

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パンジャーブ

(パンジャーブ州 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/08 01:32 UTC 版)

1909年のパンジャーブ地図
赤い城(デリー)
時計塔(ファイサラーバード

パンジャーブPunjabあるいはPanjab、パンジャブとも)は、インド北西部からパキスタン北東部にまたがる地域インド・パキスタンの分離独立の際に、インド側とパキスタン側に分割されている。

地理

パンジャーブの語源は、ペルシア語で「5つの水」を意味するパンジュ・アーブ (panj ab) で、この地を潤す5つの河川、北から順にインダス川とその4つの大きな支流、ジェルム川シェナブ川ラーヴィー川英語版サトレジ川に由来する。パンジャーブはこれらの大河に囲まれた地域で、灌漑によって小麦の生産力に優れた豊かな農地となっており、インド・パキスタン両国にとっては重要な穀倉地帯である。

現在の行政区分では、パンジャーブ州(インドパキスタン)、ハリヤーナー州ヒマーチャル・プラデーシュ州付近にあたる。

歴史

先史時代、インダス文明がパンジャーブにも及び、当時の都市遺跡・ハラッパーなどの痕跡を後世に残した。

古代にはガンダーラ紀元前6世紀 - 11世紀)が栄え、中心都市はペシャーワル(現カイバル・パクトゥンクワ州)、チャールサダ英語版(現カイバル・パクトゥンクワ州)、タクシラ(現パンジャーブ州 (パキスタン))、フント英語版(現カイバル・パクトゥンクワ州)などに移り変わった。

また、紀元前6世紀以来、ペルシャ帝国アケメネス朝)の版図はインダス川流域付近まで及んでいたが、紀元前4世紀アレクサンドロス3世(大王)率いるマケドニア王国アルゲアス朝)軍はペルシャ王ダレイオス3世を破った後インドに侵入し、紀元前326年ヒュダスペス(ジェルム)河畔の戦いが行われた。当時、東部パンジャーブのジェルム川からシェナブ川に至る地域はパウラヴァ族(Paurava)の王であったポロスの領土となっていた。

紀元前4世紀末頃から、インダス流域を含む北西インド地方は、マウリヤ朝マガダ国)のチャンドラグプタの版図に含まれた。紀元前2世紀頃から西暦後1世紀頃まで、インド・グリーク朝の治世となっていた。

1757年マラーターのインド北西部征服英語版パンジャーブが占領される。

1761年第三次パーニーパットの戦いドゥッラーニー朝アワド太守などのムスリム同盟軍が、ヒンドゥー教マラーター同盟に勝利。パンジャーブの領土を拡張した。

現在のヒマーチャル・プラデーシュ州付近には、ChambaBilaspur、Bhagal、Dhamiといった諸国が並立していた。グルカ戦争1814年 - 1816年)を経てBritish India領となった。

1823年ノウシェーラの戦い英語版でドゥッラーニー朝がシク王国に敗北し、ペシャーワル一帯の領土を失い、カイバル峠を越えて撤退した。

シク戦争1845年 - 1849年)では、第一次シク戦争ラホール条約を締結しカシミール地方をイギリスに譲渡(ジャンムー・カシミール藩王国の成立)、第二次シク戦争で敗れ併合され、British Indiaパンジャーブ州英語版となり、マリー英語版Murree)が夏の首都となった。

1858年イギリス領インド帝国が成立。1864年シムラーイギリス領インド帝国の夏の首都となる。

住民

民族

パンジャーブ人en:Arainジャート族en:Chamaren:Scheduled Castes and Scheduled Tribesラージプートen:Malik Jat clanen:Khatrien:Aheeren:Gurjar

言語

宗教

住民の宗教は、イスラーム教シク教ヒンドゥー教の3宗教によって大別される。各宗教の信者はイギリス統治期には入り混じって暮らしていたが、現在ではおおむね前者がパキスタン領、後二者がインド領に分かれている。

画像

関連項目

座標: 北緯31° 東経74° / 北緯31度 東経74度 / 31; 74


パンジャーブ州

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/08 17:07 UTC 版)

パキスタン料理」の記事における「パンジャーブ州」の解説

詳細は「パンジャーブ料理」を参照 パンジャーブ州の独自性地理的文化的考えられており、パンジャーブ住民大半幾つか変化付けて料理をする一方でそれぞれの料理多く類似点示している。その為、この地域の料理パンジャーブ料理として分類され、南パンジャーブを含む多く地域多少違いはあるが共通の料理と見る事が出来る。ボングパヤ、ニハリ、ムルグチャナは、本格的なパンジャーブ料理考えられている。

※この「パンジャーブ州」の解説は、「パキスタン料理」の解説の一部です。
「パンジャーブ州」を含む「パキスタン料理」の記事については、「パキスタン料理」の概要を参照ください。

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