シェルバーン伯爵内閣とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > シェルバーン伯爵内閣の意味・解説 

シェルバーン伯爵内閣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/02 15:26 UTC 版)

シェルバーン伯爵内閣
グレートブリテン王国 第21代内閣
シェルバーン伯爵
成立年月日 1782年7月4日
終了年月日 1783年3月26日
組織
元首 ジョージ3世
首相 シェルバーン伯爵
更迭された閣僚数
(逝去/辞任/解任)
1人
総閣僚数 16人
与党 ロッキンガム派英語版ホイッグ党
チャタム派
議会における地位 多数与党(連立政権
野党 フォックス派英語版
グレンヴィル派英語版
野党党首 チャールズ・ジェームズ・フォックス[1]
ノース卿[1]
詳細
議会任期 第15回グレートブリテン国会英語版
前内閣 第2次ロッキンガム侯爵内閣
次内閣 フォックス=ノース連立内閣

シェルバーン伯爵内閣(シェルバーンはくしゃくないかく、英語: Shelburne ministry)はシェルバーン伯爵を首相とする、1782年7月から1783年3月まで在任したグレートブリテン王国の内閣。

1782年3月にノース内閣が倒れた後、ホイッグ党ロッキンガム侯爵が再び首相に就任したが、その4か月後に病死、内務大臣のシェルバーン伯爵が後任の首相として組閣した。しかし、チャールズ・ジェームズ・フォックスなど元ロッキンガム派英語版の政治家(ジョン・キャヴェンディッシュ英語版エドマンド・バークを含む)はシェルバーン伯爵の内閣への入閣を拒否、野党に回った。フォックス派英語版もノース卿の支持者と同盟して倒閣を狙い、1783年4月に成功してフォックス=ノース連立内閣が成立した。しかし、この連立政権は国王ジョージ3世に嫌われて失脚、1783年12月に成立した第1次ピット内閣英語版でシェルバーン伯爵の閣僚の多くが返り咲いた。シェルバーン伯爵自身は閣僚に復帰しなかったもののランズダウン侯爵に叙された。

内閣

役職 肖像 名前 在任 所属政党
第一大蔵卿 シェルバーン伯爵 1782年7月4日 - 1783年3月26日 ホイッグ党
大法官 サーロー男爵 1778年6月3日 - 1783年4月7日 無所属
枢密院議長 カムデン男爵 1782年3月27日 - 1783年4月2日 ホイッグ党
王璽尚書 グラフトン公爵 1782年 - 1783年 ホイッグ党
財務大臣 小ピット 1782年7月10日 - 1783年3月31日 トーリー党
内務大臣 トマス・タウンゼンド 1782年7月10日 - 1783年4月2日 ホイッグ党
外務大臣
第一商務卿
グランサム男爵 1780年12月9日 - 1783年4月2日 ホイッグ党
海軍卿英語版 ケッペル子爵 1782年 - 1783年 ホイッグ党
ハウ子爵 1783年 - 1788年 無所属
ランカスター公領担当大臣 アシュバートン男爵 1782年4月17日 - 1783年8月29日 無所属
軍需総監英語版 リッチモンド公爵 1782年 - 1783年 ホイッグ党

閣外大臣

脚注

  1. ^ a b Sheridan 1806, p. 12.

参考文献

先代
第2次ロッキンガム侯爵内閣
グレートブリテン王国の内閣
1782年 - 1783年
次代
フォックス=ノース連立内閣



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「シェルバーン伯爵内閣」の関連用語

シェルバーン伯爵内閣のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



シェルバーン伯爵内閣のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのシェルバーン伯爵内閣 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS