第3代リッチモンド公
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 07:18 UTC 版)
「グッドウッド競馬場」の記事における「第3代リッチモンド公」の解説
第3代リッチモンド公は18世紀に軍人や外交官として活躍した。アメリカでは植民地民の支援を行い、ジョージア州リッチモンド郡、マサチューセッツ州リッチモンド(英語版)やレノックス(英語版)にその名を残した。軍人としても補給庁長官(英語版)として第2次ロッキンガム侯爵内閣とシェルバーン伯爵内閣に入閣し、晩年にはイギリス陸軍元帥まで昇った。(詳しくはリッチモンドステークス#競走名の由来を参照。) 第3代リッチモンド公は、老後の余生を過ごすためにチチェスターの別荘や周囲の整備を行った。別荘は著名な建築家ジェームズ・ワイアット(英語版)に設計を依頼した。ワイアットは壮麗な八面の邸宅(英語版)を設計したが、予算の都合で実際に実現したのは三面にとどまった。第3代リッチモンド公はまた、ジョージ・ベンティンクに依頼し、邸宅のそばに競馬場を新設し、1802年に完成した。これがグッドウッド競馬場である。第3代リッチモンド公は、サセックスで軍務についた者のなかから会員を募って競馬を行った。 現在もグッドウッド競馬場で行なわれているリッチモンドステークスの名は、この第3代リッチモンド公に由来する。また、モールコームステークスの名は、第3代リッチモンド公爵が、妹のサラ・レノックス(英語版)が離婚した際に住居として建築したモールコーム邸宅に由来する。
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