イングランド貴族のマーチ伯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/03 14:52 UTC 版)
「マーチ伯爵」の記事における「イングランド貴族のマーチ伯」の解説
イングランドのマーチ伯は、エドワード2世を廃位に追い込んで実権を掌握した王妃イザベラの愛人の第3代モーティマー男爵(英語版)ロジャー・モーティマーが1328年10月27日に議会においてウェールズ辺境伯(マーチ伯)に叙されたのに始まる。王妃の寵愛を盾に権勢を振るったが、1330年10月に親政開始を伺っていたエドワード3世によりノッティンガムでの諸侯の会議の最中にクーデター的に逮捕され、モーティマーは11月末に召集された議会において絞首刑が宣告されて処刑された。この際に領地と爵位も剥奪された。 しかしその孫であるロジャー・モーティマー(英語版)(1328–1360)は、1354年にマーチ伯爵を回復した。 その息子の3代マーチ伯エドマンド・モーティマー(1351–1381)は、エドワード3世の三男クラレンス公ライオネルの娘フィリッパと結婚し、その間の子である第4代マーチ伯ロジャー・モーティマー(1374–1398)は1385年にリチャード2世から王位継承者と宣言されたが、アイルランド総督在任中に現地勢力との小競り合いで戦死した。その息子の第5代マーチ伯エドマンド・モーティマー(1391–1425)は、王位継承者の地位を引き継ぐことをリチャード2世から認められたが、1399年にヘンリー・ボリングブロクがリチャード2世から王位簒奪してヘンリー4世として即位したことで一時所領を没収されて厳しい管理下に置かれた。しかしランカスター朝の王に忠実に行動したことにより1413年のヘンリー5世即位後には所領を返還された。 彼の死後は4代マーチ伯の娘アン・モーティマーと3代ケンブリッジ伯リチャードの子である第3代ヨーク公リチャードプランタジネット(1411–1460)、ついでその息子の4代ヨーク公エドワード・プランタジネット(1442–1483)が継承したが、1461年に彼がエドワード4世として国王に即位したことでマーチ伯爵位は王冠とマージした。 ついでエドワード4世の子コーンウォール公エドワード(1470–1483?)(後のエドワード5世)が1479年7月8日にマーチ伯に叙位されている。1483年の即位とともに王冠にマージされたが、同年にリチャード3世に王位簒奪されている。 ついで初代レノックス公エズメ・ステュアートの次男エズメ・ステュアート(英語版)(1579-1624)が1619年6月7日にマーチ伯に叙位された。その後1624年には兄からスコットランド貴族爵位の第3代レノックス公爵位を継承したが、同年に死去し、その息子である第4代レノックス公ジェイムズ・ステュアート(1612–1655)に継承され、彼は1641年8月8日にイングランド貴族リッチモンド公爵に叙位された。以降マーチ伯爵位はリッチモンド公爵およびレノックス公爵の従属爵位として続き、第3代リッチモンド公チャールズ・ステュアート(英語版)(1639–1672)が継承者無く死去したことで廃絶した。 ついでチャールズ2世の非嫡出子チャールズ・レノックス(1672-1723)が1675年8月9日にリッチモンド公爵とともにマーチ伯爵に叙位された。以降現在までリッチモンド公爵レノックス家(のちゴードン=レノックス家)によって継承されている。リッチモンド公爵家の法定推定相続人はマーチ伯爵を儀礼称号として使用する。2020年現在の爵位保持者は第11代リッチモンド公爵チャールズ・ゴードン=レノックス(英語版)(1955-)である。
※この「イングランド貴族のマーチ伯」の解説は、「マーチ伯爵」の解説の一部です。
「イングランド貴族のマーチ伯」を含む「マーチ伯爵」の記事については、「マーチ伯爵」の概要を参照ください。
- イングランド貴族のマーチ伯のページへのリンク