イングランド軍の作戦
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「アジャンクールの戦い」の記事における「イングランド軍の作戦」の解説
こうしたフランス軍の作戦を、ヘンリー5世は捕虜からの情報で正確に把握していた。そこでヘンリー5世は、全ての弓兵に約1.8mの長さの杭を持ち運ぶように命じた。杭は両端を尖らせ、フランス軍の重装騎兵が来たときに、地面に撃ち込むことで騎馬突撃を難しくさせることを目的としていた。ヘンリー5世は杭を持ち運ぶ戦術を、1396年のニコポリスの戦いから着想したと言われる。ニコポリスの戦いでは十字軍の騎馬突撃にイェニチェリの弓兵が無数の杭を地面に打ち込んで対抗した。この戦術をヘンリー5世は発展させたのだった。ヘンリー5世はV字になるように中央に下馬騎士による部隊を、左右に弓兵による部隊を配置した。
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イングランド軍の作戦
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「クレシーの戦い」の記事における「イングランド軍の作戦」の解説
イングランド軍のロングボウを装備した弓兵の活用は、バノックバーンの戦いでの手痛い敗戦を経て、スコットランド独立戦争の中で急速に発展していた。イングランド軍の戦術の骨子は、戦闘力の高い下馬騎士と熟練した弓兵の連携にあった。8月26日の朝、イングランド軍はクレシー村近郊の低い山に陣地を構えた。イングランド軍は中央に下馬騎士の部隊を配置し、エドワード黒太子がそのうち一隊を受け持った。さらに、緩やかな斜面にそって逆V字型になるように両翼にロングボウ部隊を配置し、打たれ弱い彼らに対する騎兵の突撃を防ぐために穴を掘り、杭を打ちたてた。エドワード3世自身は後方に陣を構え、風車を指令所とした。
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