フランス軍の作戦
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「アジャンクールの戦い」の記事における「フランス軍の作戦」の解説
フランス軍の最重要課題は、下馬騎士とロングボウを持った弓兵の連携というイングランド軍の基本戦術を、いかに打ち破るかであった。1346年にクレシーの戦いで大敗して以来、彼らはその方法を模索していた。1356年のポワティエの戦いでは、フランス軍の騎士も馬から降りて戦ったものの、隊形が混乱して動けなくなり、国王ジャン2世が捕らえられる結果に終わっている。 アジャンクールの戦いでは、フランス軍は中央に下馬した騎士と歩兵による大部隊を、左右に重装甲の騎兵部隊を配置した。フランス軍総司令官(英語版)のドルー伯シャルル1世(英語版)とフランス元帥ジャン2世・ル・マングル(英語版)(通称ブーシコー)が立案した作戦は、中央の大部隊で正面からイングランド軍を攻撃する間に、重装騎兵が敵背後に回り込んで弓兵を駆逐するというものだった。ロングボウによる射撃を無効化するために、重装騎兵は馬にも馬鎧を着せていた。
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フランス軍の作戦
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「ブーヴィーヌの戦い」の記事における「フランス軍の作戦」の解説
皇帝軍、イングランド軍、諸侯の軍の寄せ集めだった連合軍と違い、フランス軍はフィリップ2世の指揮の下で統一的な行軍をすることができた。当時は騎士による騎馬突撃戦法の全盛時であり、いかに自軍に優位な状況を作り出すかが勝敗を決した。フィリップ2世が連合軍との会戦を先延ばしにして北へと軍を進めていったのは、背後を追い掛ける連合軍にとってはそれだけで負担が大きいと考えたからだった。ブーヴィーヌを会戦の場に選んだフィリップ2世は、軍勢を3つの大きな部隊に分けて、それぞれに歩兵と騎兵を配置した。先に到達して陣形を整えたフランス軍に対して、連合軍は統一的な行軍をすることができず、かなり長い距離に引き延ばされた状態になっていた。そしてフィリップ2世の目論見通り、連合軍は戦場に到着した軍勢から攻撃をはじめた。
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