サバスデイポイントの戦いとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > サバスデイポイントの戦いの意味・解説 

サバスデイポイントの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/23 02:30 UTC 版)

サバスデイポイントの戦い(サバスデイポイントのたたかい、英 Battle of Sabbath Day Point)は、1757年7月23日に、ジョージ湖沿岸のサバスデイポイントで起きた戦闘である(戦闘というよりは、待ち伏せと呼んだ方が正しい)。約450人のフランス軍とインディアン同盟兵とが、海兵隊のエンサン・ド・コルビエール指揮のもと、植民地民兵中心の、ジョン・パーカー率いる350人のイギリス軍に奇襲をかけた。フランス側は、相手の作戦を知っており、彼らがバトーで湖岸に近づくのを待ち伏せていたのである。この確定的な敗北で、イギリスの戦死者は350人中160人にものぼり、あとの兵も捕虜となった。フランス軍は、報告によれば、軽傷が1人だけだった。


  1. ^ Fowler, p. 114
  2. ^ Fowler, p. 118
  3. ^ Fowler, p. 119
  4. ^ a b c Fowler, p. 120
  5. ^ Fowler, p. 121


「サバスデイポイントの戦い」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「サバスデイポイントの戦い」の関連用語

サバスデイポイントの戦いのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



サバスデイポイントの戦いのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのサバスデイポイントの戦い (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS