ウィリアム・ヘンリー砦の戦いへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/27 02:44 UTC 版)
「サバスデイポイントの戦い」の記事における「ウィリアム・ヘンリー砦の戦いへ」の解説
パーカーは、幸運にもフランス軍の攻撃は逃れたものの、ウィリアム・ヘンリー砦まで、木や下草が入り組んだ雑木林を、残された兵を連れて通らなければならなかった。フランス軍は、捕虜たちを力ずくで船に乗せ、北を目指した。戻るまでの道すがら、彼らは、民兵から奪ったラム酒を飲んで歌いまくっていた。カリヨン砦では、インディアンたちが、ラム酒のせいでへべれけになり、哀れな捕虜の肉をゆでて口に押し込んでいた。 モンロは、湖の北の、多くのフランス兵の存在を知るのに、かなり高い代償を払った。この勝利に気をよくしたフランスは、2つの部隊をカリヨン砦の南へと派遣した。一つはジョージ湖にこぎ出し、もう一つは密林を伐採して、道を作りながら湖の西岸へ出た。サバスデイポイントでかなりの兵を失ったため、イギリスの反撃には、両軍とも殆ど遭わなかった。このフランス部隊の目的は、ウィリアム・ヘンリー砦だった。そして8月3日の朝、フランス軍は湖を南下して、ウィリアム・ヘンリー砦から見える場所に、すべるように入って来た。ウィリアム・ヘンリー砦の戦いが始まろうとしていた。
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