フランスの兵力集結
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/08 07:17 UTC 版)
「ウィリアム・ヘンリー砦の戦い」の記事における「フランスの兵力集結」の解説
モントリオールに集まったインディアン兵は、南のカリヨン砦に送られ、そこで、フランソワ=シャルル・ド・ブールラマク(英語版)が指揮する正規部隊のベアルヌ連隊(英語版)と、王立ルーション連隊(英語版)、そして、フランソワ=ガストン・ド・レビが率いるラ・サル連隊(英語版)、ギュイエンヌ連隊(英語版)、ラングドック連隊(英語版)、それからラ・レーヌ連隊(英語版)と合流した。海兵隊もこれに加わり、民兵とインディアン兵とで、カリヨンのフランスの勢力は8,000人にも膨れ上がった。 カリヨン砦では、フランスの主導権によっても、同盟者であるインディアン兵の行為を統御するのは難しかった。あるインディアンのグループがイギリス人捕虜に二列に並んだ兵からの鞭打ち刑を課そうとしたのは制止されたが、オタワ族のグループはまた別の捕虜の肉を儀式として食べているところを見つかったが、止めさせられなかった。またフランスの幕営には、インディアンたちが本来の割り当て以上の糧食を持ち出すのをとめる力がないことに苛立ちを募らせていた。モンカルムの側近であるルイ・アントワーヌ・ド・ブーゲンビルは、こうした行為を無理に止めさせるようなことをすれば、インディアン同盟軍からは脱走兵が出るだろうと見ていた。7月23日のサバスデイポイントの戦いで捕囚された多くの兵の一部の肉が、やはり儀式として食べられていた。この捕虜たちは、モンカルムが、インディアン兵を説得して、モントリオールへ奴隷として売るために送るつもりだった。このことは、来るべき何かを暗示していた。
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