フランスの勝利とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/04 05:05 UTC 版)
「サントフォワの戦い」の記事における「フランスの勝利とその後」の解説
イギリス軍の戦死者は292人、負傷者が837人、そして捕虜が53人で、全部で1182人の戦死傷者と捕虜が出た。フランスは833人で、戦死193人、そして負傷者640人だった。第15歩兵部隊は、階級を問わず836人の兵のうち138人、34パーセントが戦死した。 フレーザー・ハイランダーズの士官は4分の3が戦死もしくは負傷した。サントフォワの戦いは、カナダを舞台とした戦争の中で、もっとも殺伐としたものの一つだった。 レビはその後、兵力の弱いイギリスに対して包囲戦に出た。フランスからの援軍をも当てにしていたレビは、5月15日の夜に艦隊の音を聞きつけ、確認したところ、それはフランスではなく、イギリスの艦隊だった。フランス艦隊は、前年秋のキブロン湾の海戦で、イギリスに粉砕されていたのだ。分が悪くなったレビの軍は、5月末にモントリオールに退却した。その年の9月、ヌーベルフランス総督ヴォードルイユは、モントリオールで降伏した。 1995年以来、サントフォワでは毎年4月に、この戦いの記念式典が行われている。
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