フランスの再介入
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「チャド・リビア紛争」の記事における「フランスの再介入」の解説
「:en:Opération Epervier」も参照 大きな戦闘が発生しなかった1984年から1986年の間には、アメリカからの強固な支援と、1984年フランス・リビア合意のリビアの遵守違反のおかげで、ハブレの立場は大いに強化された。また、1984年より暫定国民連合政府(GUNT)を悩まし始めた、グクーニとアシェイク・イブン・ウマルによる主導権争いなどの勢力間のいさかいの増加も、決定的であった。 この時期、カダフィは新しい道路やワジ・ドーム(Ouadi Doum)に大規模な新空軍基地を建設するなどチャド北部での支配を拡大強化した。これはアオゾウ地帯の先にあるチャド北部での航空作戦、地上作戦をやり易くすることを目的としていた。また、1985年には大規模な増派も行い、チャド駐留リビア軍は兵員7000人、戦車300両、戦闘機60機の規模へと増強された。この増派が行われる一方、暫定国民連合政府(GUNT)の大部分は、ハブレ政権が和解政策を採っていたこともあり、ハブレ政権側に移った。 リビアのチャド駐留の正当性は暫定国民連合政府(GUNT)より付与されたという建前上、この「脱走」にカダフィは驚いた。「脱走」を止めさせ暫定国民連合政府(GUNT)を再集結させるために、ンジャメナ奪取を目標に「レッド・ライン」上で大規模な攻撃が始まった。攻撃は1986年2月10日に始まり、リビア軍5000人・暫定国民連合政府(GUNT)軍5000人が参加、クバ・オランガ(ロシア語版)、カライ(フランス語版)、ウム・シャルバ(Oum Chalouba)のチャド国軍(FANT)前哨基地に攻撃が集中した。2月13日、フランスから新たに供与された装備を手にチャド国軍(FANT)が反撃、リビア側は撤退と部隊再編を余儀なくされ、一連の攻撃はカダフィの大敗北で終結することとなった。 最も重要なのは、この攻撃に対するフランスの反応であった。カダフィはおそらく、きたる1986年フランス議会総選挙のために、ミッテランはハブレ救援のために危険で費用のかかる新たな部隊派遣を行うことは気が進まないだろう、と考えていた。一方で、リビアによる侵略に対して弱腰の姿勢を示すことは、フランス大統領にとって政治的に負えないリスクだったので、このカダフィの考察は間違っていたことが示された。結果として、2月14日、オペレーション・エペルヴィエ(英語: Operation Épervier)が開始され、兵員1200人、SEPECATジャギュア攻撃機数個中隊からなるフランス軍部隊がチャドに派遣された。2月16日、カダフィに明確なメッセージを送るために、フランス空軍はワジ・ドーム空爆(英語版)を行った。リビアはその翌日に報復、リビア軍のTu-22爆撃機がンジャメナ国際空港を爆撃したが、被害は軽微であった。
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