モンカルム
モンカルム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/06/12 04:23 UTC 版)
モンカルム
- ルイ=ジョゼフ・ド・モンカルム - フレンチ・インディアン戦争時のフランス軍指揮官。
- フランス海軍の艦船
- モンカルム (装甲巡洋艦) - ゲイドン級装甲巡洋艦
- モンカルム (軽巡洋艦) - ラ・ガリソニエール級軽巡洋艦
- ジョルジュ・レイグ級駆逐艦の1隻
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モンカルム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/04 02:05 UTC 版)
両軍の指揮官はまた、ヨーロッパの開けた平原の、比較的動きのとれる環境で軍人として育てられており、森林の多い土地での戦いは苦手だった。また、インディアンや、イギリス軍の補助部隊ロジャーズ・レンジャーズのように、ゲリラ戦を展開するのをどちらも好まなかったが、必要悪とみなしており、森林で行動するための先導役と見ていた。この戦争を通じて、フランスは、比較的少人数の軍を補うべく、インディアンの力を借りることがあったが、この戦闘でのインディアンの数はきわめて少なかった。モンカルムは概して、インディアンと彼らのやり方を好まなかった。 特にモンカルムは、奇策を打ち出せばもっと得るものがあったであろう。彼は明らかに、ジョージ湖北岸の上陸地点について詳しく調べようとしていなかった、そこでイギリス軍に勝つことも出来たのにだ。さらに、フランス軍は、数で上回るイギリス軍の力を削ぐため、森林に誘い出して戦うことも、連水経路で戦うこともできた。実は、カリヨン砦は連水経路に沿って建てられていたのだが、その選択肢をフランスが取らなかったことは、戦略上の失敗であると言える。ウィリアム・ネスターは、連水経路の最初の十字路でイギリス軍を叩いておけば、モンカルムは防御の準備にもう一日費やせたとしている。
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