サン=ヴェラン集落
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「ラ・ロック=サント=マルグリット」の記事における「サン=ヴェラン集落」の解説
岩にしがみついているサン=ヴェラン集落は、モンカルム家発祥の地である。1425年当時、レーモン・ド・モンカルムはアルマニャック伯ジャン4世の元・外科医および理髪師で、サン=ヴェランの地の封建的な習慣に従ってアルマニャック伯に忠誠を示したため、城の半分はモンカルム家に分割された。残りの半分をルイ3世・ド・モンカルムが購入して完全な持ち主となったのは1661年である。一族はフランス革命までこの封土を守った。モンカルム侯爵ルイ=ジョゼフ・ド・モンカルムは、1756年2月にカナダへ出発する直前にルイ15世によって北アメリカにおける王軍の最高司令官に任命され、これが最後の北アメリカ滞在となった。城が建設されたのは11世紀初めにさかのぼるが、今日では領主の住居部分と、円筒形のダンジョンの一部だけが残っている。 1470年、サン=ヴェランの城が王家の供託下にあったとき、シャルル・ダルマニャック伯(fr)は約30人の武装した男たちからなる小さな部隊で城に入り王を驚かせた。1470年12月、錬金術を用いて贋金を鋳造したとアルマニャック伯は告発され、ロデーズ執事長であるギヨーム・ド・シュリーによって包囲された。翌月1月の初め、彼は庶子のジャンともども降伏することになった。シャルル・ダルマニャックはバスティーユ監獄に投獄され、ルイ11世が亡くなる1483年まで解放されなかった。
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