モンカダ襲撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 01:47 UTC 版)
その後フィデルは武装勢力を組織し、1953年7月26日に、130名の仲間とともにモンカダ兵営(サンティアーゴ・デ・クーバ)に対する攻撃を行った。攻撃者の80人以上が死に、フィデルは逮捕された。裁判ではカトリック司教の仲裁で死刑は免れたが、懲役15年が宣告され、投獄される。獄中ではホセ・マルティなどを愛読、「歴史は私に無罪を宣告するだろう」を発刊する。1955年5月に恩赦によって釈放され、2カ月後にメキシコに亡命、後にアメリカに移住して活動を続けた。メキシコ亡命時代にはバティスタの意向を受けたメキシコ警察によって逮捕されたが、フィデルを見込んだメキシコ革命の大成者だった元大統領ラサロ・カルデナスの歎願によって釈放された。
※この「モンカダ襲撃」の解説は、「フィデル・カストロ」の解説の一部です。
「モンカダ襲撃」を含む「フィデル・カストロ」の記事については、「フィデル・カストロ」の概要を参照ください。
- モンカダ襲撃のページへのリンク