フランス軍の介入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/20 20:33 UTC 版)
「イラン・イラク戦争における航空戦」の記事における「フランス軍の介入」の解説
1983年1月2日、イラクのアジズ外相はフランスを訪問し、フランソワ・ミッテラン大統領等と会談し、武器代金の支払い条件の緩和と石油買い付け量拡大に合意した。2月4日、ル・モンド紙は発注済みのミラージュF1戦闘機60機のうち29機を年内に引渡し、更にシュペルエタンダールとエグゾセ対艦ミサイルの追加供与も検討されたと報じた。 6月23日、フランス政府はシュペルエタンダール5機をエグゾセ・ミサイル付きで2年間貸与することを決定した。10月7日、フランス国営ラジオ放送はエタンダール5機がイラクへ向けて出発したと報じた。10月13日、サッダーム・フセイン大統領はエタンダール機は10月末に引渡し予定で、まだ到着していないと発表したが、10月15日、ベルギーのル・ソワール紙は既にイラクに到着していると報じた。 貸与された2年間で、主にイラン向けタンカーに対しての通商破壊やイラン艦艇への攻撃に使用された。これらは、失われた1機を除いてミラージュF1納入後にフランスに返還された。(タンカー戦争を参照) 停戦後の1988年10月19日にフランスのカナール・アンシェネ紙がスクープ記事を出した。 これによれば貸与協定は6月2日に締結され、10月7日にブルターニュのランディヴィジオ海軍航空基地を出発、コルシカ島経由で地中海上にあった空母クレマンソーに着艦。そこでフランス海軍標識をイラク空軍標識に塗り替え、フランス人パイロットは制服、認識票、身分証明書をフランスのそれからイラクに切り替えて、引き続きイラク空軍として任務に就いた。参加者はパイロット7人、ダッソー社の技術者など約30名がイラク軍に参加した。 彼等の主な任務はイラク人パイロットの訓練や実際の偵察任務にも就いていたが、それだけでなく攻撃目標の選定や攻撃方法、空中給油空域の決定など「あらゆること」を担当したとされる。1985年にエタンダール機はフランス海軍に返還されたが、ミラージュF1が引き渡された際も同様にパイロットや技術者を提供している。 このことがフランス議会で論議されることも閣議で審議されることも無かった。
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