ニコポリスの戦いとは? わかりやすく解説

ニコポリスの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/14 15:11 UTC 版)

ニコポリスの戦い(ニコポリスのたたかい、ブルガリア語: Битка при Никопол, Bitka pri Nikopol; トルコ語: Niğbolu Savaşı ハンガリー語: Nikápolyi Csata, ルーマニア語: Bătălia de la Nicopole)は、1396年9月25日に、ドナウ河畔のニコポリスオスマン帝国バヤズィト1世(在位:1389年 - 1402年)とハンガリージギスムント率いるヨーロッパ諸国(参加勢力:ハンガリー神聖ローマ帝国フランスワラキアポーランドイングランド王国スコットランド王国スイス原初同盟ドイツ語版英語版(Eidgenossenschaft)、ヴェネツィア共和国ジェノヴァ共和国マルタ騎士団)との間で起こった会戦




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ニコポリスの戦い

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バヤズィト1世」の記事における「ニコポリスの戦い」の解説

「ニコポリスの戦い」も参照 こうしたバルカン半島でのオスマン帝国勢力拡大に対してバルカン半島国家だけでなく西欧も不安を覚えハンガリー王ジギスムント教皇庁十字軍要請したローマ教皇ボニファティウス9世アヴィニョン教皇ベネディクトゥス13世フランスイングランドサヴォイアなどの西欧諸国十字軍結成呼び掛け西欧より王族貴族騎士参加表明した1396年7月下旬から8月上旬にかけて十字軍ブダ集結ワラキア軍隊と共にジギスムント率いハンガリー軍合流しヴィディンオスマンへの臣従破棄して十字軍参加した十字軍ブルガリア進攻して領内イスラム教徒キリスト教徒双方殺害し9月10日にはドアン・ベイ(英語版)が守るニコポリス迫り包囲布いたコンスタンティノープル包囲指揮を執っていたバヤズィトはただちに引き返し、自ら軍を率いてニコポリス救援向かった9月24日バヤズィトニコポリス到達、翌25日オスマン軍十字軍衝突した(ニコポリスの戦い)。軍功求めてジギスムント忠告無視して個別突撃をかけた西欧騎士たちに対しバヤズィト集団戦法によって彼らを撃破した。彼自身も刀を手に取って負傷しながらも勇敢に戦い戦闘オスマン軍完勝終わったブルゴーニュ公子ジャンフランス陸軍元帥ブシコー(英語版)らを捕虜とし、彼らの釈放引き換え多額身代金を得る。戦後ヴィディン併合してブルガリア征服達成し、またワラキア臣従を誓わせた。 アッバース家のカリフ・ムタワッキル1世英語版)はニコポリスでの勝利を称賛しバヤズィトスルタン称号授けた。彼以前オスマン帝国指導者であるオルハンムラト1世碑文貨幣スルタン称号用いていたが、後世オスマン帝国歴史家オスマン帝国の君主スルタン称した由来を、カリフからの称号授与に結びつけた。 ニコポリスの戦いの後にオスマン軍ミトロヴィツァ攻略、さらにギリシャ進み1397年ラリサパトラアテネ占領しペロポネソス半島大部分支配下置いた1398年オスマン軍内乱分裂状態にあったボスニア初め侵入し、これ以降ボスニアオスマン軍内政への介入奴隷狩り悩まされることになる。

※この「ニコポリスの戦い」の解説は、「バヤズィト1世」の解説の一部です。
「ニコポリスの戦い」を含む「バヤズィト1世」の記事については、「バヤズィト1世」の概要を参照ください。

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