戦闘準備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/07 02:50 UTC 版)
ジョーンズの乗組員は「その財産を作る」機会を約束するという宣伝で集められていた。それはイギリス商船に対する私掠行為によって成される褒賞だった。実際のところレンジャーは海軍の艦船であり私掠船ではなかったので、イギリスの商船は捕獲されるよりも沈められることが多かった。これは捕獲した商船をフランスまで曳航するために多くの船員を割くことを避けるためだった。ジョーンズは海軍の指揮官としてある程度失敗を犯していた。イギリス税関の船に火を付けた後にその逃亡を許したという戦略的な誤りと考えられることについて乗組員はジョーンズを責めていた。このときジョーンズはイギリス海軍の艦船をその碇泊地から捕獲して帰ることを目指していた。それは大きな利益に繋がる船荷は積んでいないが、訓練された戦闘用の水夫と大砲が手に入るはずだった。4月24日日の出直後の出来事に関する証言は、戦いから数年後に出版した大いに飾り立てられたフランス語の自叙伝に載っているものだが、全くの誇張ではない可能性がある。「私は殺されるか、あるいは海に投げ込まれるという大きな危険性を冒した。」ドレイク乗組員にとって不運なことに、この時の風と潮の状態は出港には適していなかったが、望遠鏡の扱いに慣れた者が結局カリックファーガスに行く必要も無いと判断し、出港の準備を始めていた。 実際にドレイクはレンジャーが先に接近してきた時以降行動に移る準備をしていた。カリックファーガス地域から志願兵を募り、乗組員は100名ないし160名になっていたが、その多くは陸兵であり、接近戦のときに使えるものだった。それゆえに23日の夜には砲手長代行が集められた兵士全てのために弾薬を用意するには十分なカートリッジ紙がないと報告していた(正規の砲手長はポーツマス海軍基地に寄ったときに病院に収容されていた)。さらにはこの重要な時に艦の要職者が不在だった。船長補は病気、掌帆長は蜜貿易船を捕獲しようとした時に撃たれて戦死、大尉は2日前に熱病で死亡していた。年取った艦長のジョージ・バードンは後の報告では彼自身も健康が優れなかったとされていた。しかしそのような事情があってもイギリス海軍の艦船はその任務を遂行するしかなかった。ドレイクは午前8時頃に出港したが、相変わらず風と潮の具合が悪くあまり進めなかった。1時間かそこら後にドレイクは侵略船を視認する所まで来ており、結果としてこの時点が転換点であった可能性がある。ジョーンズは数日前に税関の船を捕まえ損なったときの作戦を少し変えてみることにした。すなわち乗組員の大半と大きな大砲を隠し、無害な船であることを装うことだった。このときはそれがうまくいった。ドレイク偵察ボートの乗組員(砲手長補、少尉および水兵6人)を全て捕まえることができた。この成功でアメリカ兵の士気を大いに上げ、さらに捕虜の1人がドレイクには多くの志願兵が乗り組んでいると告げたことでおまけが付いた形になった。 ドレイクは入江からのろのろと出て行ったので、アメリカ軍にとっては二重のおまけがついた。午後1時頃、別の小さなボートが現れて、別の志願兵であるイギリス海軍のウィリアム・ドブス副艦長を運んできた。ドブスは最近結婚したばかりの土地の者であり、ドレイクのパイロットの証言では、ホワイトヘイブンから「謎の艦船」(レンジャー)に関する詳細を説明する速達便の写しを携行して来ていた。ジョーンズはその前夜にホワイトヘイブンからの報せが到着しており、その朝に捕まえた捕虜に知らされていたことを、その公式報告書の中で指摘している。その日の午後には風と潮の具合が好都合になったので、レンジャーはベルファスト入江からノース海峡の方へ緩りと後退したが、ドレイクから遠く離れ過ぎないように注意していた。最終的に午後6時頃、両艦は指呼の間に接近した。ジョーンズはアメリカ海軍旗を掲げており、ドブス副艦長からの船籍を問う正式な照会に対しても、全くの真であると応えた。 ノース海峡の海戦は後の1779年に行われたイギリス海軍のHMSセラピスとの 一騎討ちに対するある面で逆の結果を生み、小型の前哨戦の形になった。ドレイクは防御性能を備えた商船として建造されており、イギリス海軍は多くの船舶がアメリカ大陸に送られた隙間を埋めるためにこれを購入していた。4ポンド砲20門搭載というのは海軍の公式記録ではないが、当初商人が購入したときのままだった。その船殻は急速な操船には不向きな形状であり、大砲の砲撃には耐えられないものだった。レンジャーは戦闘艦として建造されており、ジョーンズが効果を最大にできるように改修していた。例えば、大砲のための砲口が20門あったが、6ポンド砲18門を搭載した方が安全であると判断していた。このことで舷側の総攻撃力は54ポンドとなり、ドレイクの40ポンドより僅かに上回っていた。しかし、アイルランドの志願兵が多く居たという事実は、もしドレイクが接舷してレンジャーに乗り移ることができれば、アメリカ艦の方が大変なことになったであろうことを意味していた。
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