商船として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/04 21:52 UTC 版)
「赤城山丸」は、横浜とシアトルおよびサンフランシスコを結ぶ北米航路へ就航した。同航路に就航した姉妹船の「秋葉山丸」と運航コストの比較研究が行われ、重油燃料使用状態の「秋葉山丸」と比べても燃料費・人件費等の節約で一航海あたり20172円安い費用で運航できることが判明した。この研究成果は三井物産の川村船舶部長により論文として発表され、日本の船舶関係者から注目を浴びた。その後、効率性の高いディーゼル商船が日本にも広まり、昭和恐慌の影響もあって1931年(昭和6年)には三井物産船舶部の北米航路は「赤城山丸」以下5隻のディーゼル船に絞って構成され、月2便運航の態勢となっていた。 1932年(昭和7年)5月、「赤城山丸」はマニラ・ニューヨーク線へ異動となった。以降、1935年(昭和10年)には小樽港・ヨーロッパ間の木材輸送や満州・オーストラリア間の小麦輸送に従事、翌1936年(昭和11年)にアフリカ不定期航路へ就航、1937年(昭和12年)には日中戦争勃発を受けてロサンゼルスからの緊急ガソリン輸送も行った。イラン向けのセメント輸送などでペルシャ湾にも赴いている。1941年(昭和16年)に仏印進駐の影響でバンコク航路が増強されると、6月に「赤城山丸」も旅客設備を設けてバンコク航路へ就航した。
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