フランスの戦闘準備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 15:40 UTC 版)
「セントジョンズの包囲戦」の記事における「フランスの戦闘準備」の解説
1704年の終わり、スーベルカスはイングランド集落への攻撃計画に着手した。駐屯隊に加えて、カナダの民兵とアベナキ族を本土から呼び寄せ、出来る限り多くの住民を戦闘に参加させた。1705年1月8日、アヴァロン半島を出発したスーベルカス軍は総勢450人に及んだ 。そのうち100人規模の中隊をジョシュエ・デュボワ・ベルテロ・ド・ボークールが率いており、その隊にはジャック・テスタール・ド・モンティニや、アベナキの指揮官であるエスカムビ(Escumbuit)もいた。2人とも、ピエール・ル・モイヌ・ディーベルヴィユのニューファンドランド遠征で、イングランド襲撃の経験があった。中隊の兵士たちが陸上を行軍している間、海上では、何門もの大砲を備えたブリガンティーンが半島の回りに横付けされた。
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