正統カリフ勢力の戦闘準備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/24 09:39 UTC 版)
「カーディシーヤの戦い」の記事における「正統カリフ勢力の戦闘準備」の解説
ウマルはイラクに再侵攻するのに十分な兵力を集めるため、アラビア全体から兵を集めた。ウマルが司令官に任命したのは、クライシュ族の名門出身のサード・ブン・アビー・ワッカース(英語版)だった。636年、サードは4,000の兵を率いてメディナ近くの宿営地から出発し、アラビア北部に集結中の軍と合流してイラクに向かった。ウマルは軍事経験が浅いサードに、経験豊かな指揮官たちの助言を聞くように命じた。サードがイラクに着くと、ウマルはクーファから50キロほどのカーディシーヤと呼ばれる小さい町で待機するように命じ、ムスリム軍はここで宿営した。 兵力不足に悩んでいたウマルは、リッダ戦争でウンマから離反していた諸部族も動員したため、集められた軍勢は熟練の戦士たちではなく、アラビア中の新兵の寄せ集めだった。そのため、ウマルは前線に指令を出し続けた。一方、アブー・ウバイダと軍事的天才のハーリドが率いる古参兵が投入された東ローマ戦線は、ウマルも満足する進展だった。ヤルムークでの大勝利の後、ウマルは古参兵の部隊をすぐにイラクに送るようにアブー・ウバイダに指示した。派遣された5,000の古参兵は、開戦2日目になってカーディシーヤの戦場に到着し、戦況を一変させることになる。
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